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ボランティア不足 と GO TOキャンペーン

令和2年7月豪雨の被災地では、コロナ対策としてボランティアの受け入れを県内在住者に限っているためにボランティアが大変不足しているようです。私も梅雨末期の水害被災地で何度かボランティア参加していますが、被災後すぐに梅雨が明けて猛暑になる場合が多く、作業効率が大幅に低下します。今のうちにできるだけ作業を進めるべきでしょう。

コロナ対策としてボランティアの参加者を限定している一方で、国は「GO TOキャンペーン」で全国的な人の移動を促します。国のキャンペーンには賛否両論あるようですが、少なくとも「GO TO ボランティア キャンペーン」は必要なのではないかと思います。

イージス・アショアに官の劣化を感じる

イージス・アショア配備計画の停止が発表されました。(詳細は新聞等が報道しています)
候補地選定の段階でずさんな資料に基づいた説明が行われ、今回はミサイル発射に使う装置を安全に落下させるためには費用や期間が膨大に追加されることが判明したとのこと(これまでは安全に落下させることが可能と説明してきた)。
巨額の事業かつ国土防衛の事案に対し、薄っぺらな準備や調査しか行われていなかったことは驚きです。現場の意向を無視して、結論ありきのトップダウンで進められてきた可能性もあると思います。

いずれにせよ、近年の様々な官僚による事件や不祥事を見ると、官僚の劣化が激しいと感じます。いくつか思い浮かぶ原因の一つは、一部の組織のトップクラスが劣化し、それが波及しているということです。長岡市職員は基本的に真面目で優秀だと感じていますが、昨年発覚した官製談合事件は市幹部によって行われたものであり、これまでの調査によって大変根深い事件であることが分かってきました。長岡市においても職員の劣化を招かないよう注意が必要です。あっ、政治の劣化も激しいですね。いやいや大企業も劣化しているし、人類全体も劣化しているように感じます。
しかし、物事には裏表があるので、こんな状況だから目覚める人も出てくるはずですから、危機感は持ちながらも悲観はしていません。
「人は何のために生きているのか」といった心の原点から立て直さなくてはならない時代なのでしょう。

国のコロナウイルス対策

国民一人に一律10万円の給付が決まる模様です。
遅すぎたとは思いますが、これまでの国の方針が変わったことは評価できると感じています。

国が懸念している高所得者への不要な給付を避けるために、今本当に困っている国民への給付を遅らせてはなりません。また、営業補償も大事ですが(国は営業補償をしない方針ですが)生活保障はもっと大事だと思います。

そもそも近年は所得格差が拡大しており、貯蓄がゼロ又はゼロに近い個人や世帯が増えていますから、各種自粛による影響を瞬時に受ける方が多いはずで、そういった方々に思いを寄せられない政権なのだと思います。
安倍政権は「国民あっての国家」ではなく「国家あっての国民」、「個人あっての
組織」ではなく「組織あっての個人」といった認識と思われるので(100%間違いとは思いませんが)、個々人への配慮が不足しがちなのでしょう。

しかし、長期戦の様相ですから10万円で済むとは考えられず、国家財政の状況が心配になります。

また、これを機会に以前に述べたベーシックインカムに向かう流れができれば良いと思います。逆に言うと、「働かざる者食うべからず」といった価値観を守るために、ベーシックインカムへの流れを作りたくない勢力が本日まで抵抗してきたようにも感じます。

*ベーシックインカムはある意味で斬新な制度ですが、国民全員がダラダラと暮らす為の制度ではありません。現在では多くの解説を見ることができますので、関心ある方はお調べください。

一発退場

福井県にある敦賀原発の再稼働審査において、事業者の提出したデータが書き換えられていたことが明らかになりました。

慎重にも慎重を要する原発の安全審査における改竄ですから、一発退場となるべき事案です。審査する規制委員会の委員長も厳しく批判していますが、おそらく一発退場(敦賀原発の再稼働は却下、尚且つ電力事業者の原発は全て停止、更には廃業)にはなりません。これまでもいくつかの電力事業者の酷い行為が明らかになていますが「そんなことをするのなら、これで全て終わり」とはなっていませんから(厳しく批判して改善策を要求して終わり)。

反社会的勢力とのつながりや違法行為が明らかになった場合、芸能界や産業界では決定的ダメージが与えられます。しかし何故か政治の世界では、特に政権側の組織や人を「厳罰に処する」ことが少ないのです。

またも解釈変更 ~悪い意味での成功体験を与えた我々有権者の責任~

政権に関わる事件でさえ捜査しなければならない検察の人事において、禁じ手とされる法律の解釈を変更して異例の定年延長が行われました(政権側に有利な人事と報道されている)。
集団的自衛権の際にも憲法解釈を変更しましたし、共謀罪の成立時にも委員会での採決を省略するという禁じ手を使いました。
法律やその条文は、定められた時やその後の審議で「この法律はこういうものです」「この条文の意味はこういうことです」という解釈が歴史的に決まります。
従って、その解釈を変えるならば、法律や条文そのものを変えることによって意味や効力を変えなければなりません。解釈変更はまともな審議なしで成立するので、これが正当化されると何が起こるか分かりません。

その他、過去にコメントしてきたように、安倍政権は手段や過程が酷いです。しかし、そのようなことが頻発していても政権支持率は下がらず、選挙では与党が勝ちます。従って、政権側は「これでも大丈夫なんだな」と学習しますから、再度の解釈変更となったのではないでしょうか。このまま放置すると国民主権は名ばかりで、実質的には日本国民の多くが良い印象を持っていない北朝鮮のような独裁国家になってしまいます(なりかけています)。

将来的には以下のようなことも起こり得るでしょう。
警察「関貴志だな」
私「はい」
警察「〇〇の容疑で逮捕する」
私「悪いことなどしていません」
警察「法律の解釈が変わって、お前の活動は違法となったのだ」

国民が気付いた時には遅かった という段階に差し掛かっているように感じます。

桜を見る会

桜を見る会の実態を追及している野党に対して、「もっと大事な問題を議論してほしい」「いつまでやってるのだ」との批判が浴びせられています。
権力闘争として感情的に追及するように感じる野党の在り方にも問題はあると思いますが、不透明な実態を解明しようとする側が批判されるのもおかしな話です。
私は桜の問題は徹底的な解明が必要と考えます。公文書の改ざん・隠ぺい・破棄が常態化しているような政府を放置していては、今後もそれが続くと思われます。民主主義においてはプロセス(過程)と結果が重要であり、後に検証できるようにしておくことが「間違ったことをしてはならない」という動機づけにもなるはずです。そのプロセスも結果も、改ざん・隠ぺい・破棄されるのであれば、権力側はやりたい放題ということになり、今後の政府の体質として根付いてしまうのではと危惧します。
そして、こんなことを行う政府を相手に重要な問題を議論してよいのかという疑問も生じます。重要問題でも改ざん・隠ぺい・破棄を行っている可能性があり、改ざん・隠ぺい・破棄された内容をもとに議論しても正当な結論を導くことはできません。個人に置き換えると、住宅の建設や生命保険といった重要な問題の相手方の社員がウソをついたり、ごまかしたり、丁寧に説明すると言うだけで誠意のない返答を繰り返していたならば、それ以上話を進めることはできないはずです。

成人式

今週は成人の日がありました。
長岡はゴールデンウイークに成人式を行い、議員は招待して頂けます。私もできる限り出席していますが、近年は気になることがあり、心が締め付けられるような思いです。

式に出席する新成人の女性は、95%ほどが振袖を着ているように思えます。しかし、振袖にはそれ相応のお金がかかるようです。貧富の格差が広がっている現状においては、振袖を着れないから成人式に出ないという方もおられるのではないか、振袖を着ずに出席している方は肩身の狭い思いをしておられるのではないか、娘のために相当無理してお金を工面した保護者がおられるのではないか等が気になるのです(そのような思いを持っていないという方もおられるでしょう)。

「振袖を着たい」という方の気持ちも考慮しなくてはなりませんが、成人式は皆が楽しく・有意義に過ごせるような工夫が必要と感じます。

新年を迎えて

20年前から訴えております地球温暖化問題はストップできない可能性が高まっており、持続可能な社会への転換を早急に進めなければなりません。
また、長岡市政は柏崎刈羽原発への向き合い方、官製談合問題の実態未解明、財政悪化などの問題が山積しています。ほぼオール与党の市議会ですが、与党ではない議員として、しっかりとした議論を積み重ねていかなくてはならないと考えております。
本年も宜しくお願い致します。

最近の原発を巡る動き

 東電経営陣に対する原発事故の責任を問う裁判の地裁判決が10日前に下されました。この判決にはいろいろと思うところがありますが、最も違和感を覚えたのは、判決文で「事故当時、原発は絶対の安全を求められていたわけではない」と述べられていたことです。もし判決文通りだとすれば、国や事業者等が「絶対安全」と言って安全神話を広めていたことは大変罪深いのではないかと思います。
 先週は関電における電力マネー還流疑惑が明らかになりました。私の秘書時代でも電力業界は政治に対して多額の資金を提供していましたから、不透明・悪質な金の流れも十分にあり得るだろうと思っています。また、多少こじつけになりますが、金品を受け取った理由として「断ると激高された」と説明していることにも違和感を覚えます。原発そのものや再稼働に激高している人が多数いるなかで、仲間の激高にはそれなりの処置をし、部外者には何もしないという身勝手な対応のようにも映ります。
 いずれにしろ、長岡市の原発政策だけでなく、日本の原発の有り様が歪んでいるものと考えます。いやいや、国連気候サミットでスウェーデンの少女が演説したことで注目度が上がっていますが、温暖化を放置し続ける社会、飢餓・貧困を解決できない社会などなど、社会全体が歪んでいるのです。早く正常化せねば。

地球温暖化が進行し灼熱化へ

 先ほど、NHKの天気予報で来週の新潟県は最低気温が29℃の日があるとのこと。深夜も含めて1日中ほぼ30℃オーバーということでしょう。寝室にクーラーのない我が家は、既に夏の間は2階では寝られず1階で寝ていますが、いよいよクーラーを完備しなければ生きていけない時代に突入したようです。間もなく最高気温40℃を記録する日が珍しくなくなるはずですが、40℃以上の日は仕事も含めて外出禁止と規制されるなど、夏の日中にまともに活動できない時代がすぐそこと思われます。
 「たまたま最近は暑い年が多いだけで、そのうち元通りになる」わけではありません。温暖化は急激に進行しますから、いづれは夜間であっても夏は外出禁止となり、「水分や塩分の摂取」などの対症療法に注意していれば何とかなる時代は終わるでしょう。生態系も急激な温度変化に適応できない可能性が指摘されており、人類存続の危機と訴える専門家もいます。今すぐに対策を実行しても温暖化の進行を止めることができない状況にまで既に追い込まれていますが、とにかく早く手を打たなければなりません、子や孫や先の世代のために。

天皇皇后両陛下

天皇皇后両陛下が長岡にお出でになられた際、私は市議としてお出迎えを致しました。その時、私の隣に並んでいた盲目の藤田議員に近寄ってお言葉を述べられました(お声がけはないと聞いていたのでハプニングだと思います)。距離にして数十センチ。陛下が通り過ぎるまで顔を上げないようにという指示でしたので直視できませんでしたが、ものすごいオーラを感じました(威圧的でなく包み込むようなオーラでした)。
私は過去の仕事柄、竹下登、金丸信、小沢一郎、羽田孜氏ら大物政治家や著名人とも同じような至近距離で接したことがありますが、陛下の雰囲気は圧倒的でした。現天皇のこれまでの振る舞いを振り返ってみると、内面からにじみ出てきたオーラなのだと思います。

東京に住んでいた頃、じんましんの治療に訪れた病院で点滴を受けていた時に江戸っ子系の医師と交わした会話。
医師「なんの仕事をしているのか」
私「公務員です」
医師「公務員たっていろいろあるよな」
私「国会議員の秘書です」
医師「へえ~。天皇陛下は時々国会に行くが見たことあるか」
私「いいえ」
医師「実は俺はいわゆる御学友なんだ」
私「そうなんですか」
医師「あいつも普通の人間なんだよ」(本当に「あいつ」と言っていたので・・・)「時々、電話がかかってくるよ。冗談も言うんだよ。あいつも大変なんだよ」
と言って、いくつかのエピソードを教えてくれました。

考えてみると天皇陛下といっても一人の人間です。
一人の人間が一つの道を究めると、あのようなオーラを纏うのでしょう。我々には想像できないような努力をされたのではないかと思います。

本年も宜しくお願い致します。

 2年前に少し太ったため、お金をかけないダイエットということで、以前から興味のあった体幹トレーニングを始めました。体型も多少スリムになったのですが、驚いたのは趣味のバドミントンの動きが若干ながらも良くなったこと。近年は競技力低下のスピードを遅くしたいと願っていたのですが、まさか50才を過ぎて向上するとは思ってもいませんでした。
 今後の人生にも様々な可能性があると思うと楽しみです。本年もご指導の程、宜しくお願い致します。

外国人労働者  ~ 受け入れる我々の価値観は ~

外国人労働者の受け入れが拡大されることになりました。
今回の法改正における過程をみても、やはり民主主義の危機を感じます。
私は外国人を排斥すべきとは考えませんし、人手不足の解消も必要と思いますが、現時点における受け入れ拡大には慎重であるべきと考えます。

この度の法改正では様々な問題や課題が指摘されていますが、あまり報道されていない懸念すべき点について述べたいと思います。

最近、各種ハラスメントや偽装・改竄が問題になっているように、我が国では自由・平等・人権・共生・公平といった価値観が社会にしっかりと根付いているとは言えません。いわば未成熟と言えましょう。このような状況で、不足する労働力の補充として外国人を受け入れるのですから、人として受け入れるという側面が弱く、様々な問題が引き起こされてしまう可能性が大きいと思われます。
また、外国人労働者といっても一人の生活者でもあります。職場だけでなく、生活面でのトラブルも心配されます。
日本人は自ら門戸を広げるわけなので、問題が起こったら責任を持って対処しなければなりませんが、その場合の一番の犠牲者は外国人ということになりはしないかと心配です。

「異常な猛暑」だが温暖化はまだ序の口

「命が危険なほどの異常な猛暑」と連日報道されています。
平成30年7月豪雨(西日本豪雨)被災地での復旧作業への影響や、エアコンが設置されていない学校の子供が心配です。

以前から警告されていた通り、猛暑が当たり前の時代に突入したようです。
35℃以上が予想された場合は各種行事中止・学校休校、37℃以上は屋外での仕事禁止などの規制をして温暖化時代の暮らしにシフトしなくてはなりません(もちろん、綿密な制度や仕組みを考えなくてはなりません)。
また、マスコミは水分補給などの暑さ対策を呼びかけていますが、温暖化対策についてはほとんど触れていないようです。

温暖化の危機は30年ほど前から指摘されていて、現在のように猛暑や異常気象が頻発すると警告されていました。しかしこの間、温暖化の原因となる温室効果ガスの削減は行われず、もはや手遅れと指摘する専門家もいます。愚かなことです。少なくとも今後数百年は気温が上昇し続けると言われていますので現状はまだ温暖化の序の口で、今後ますます厳しい状況に陥ることを覚悟しなくてはなりません。一部で温暖化懐疑論も叫ばれていますが、温暖化が本当であった場合(ほぼ間違いないと言われていますが)の影響を考えると、危機管理上は対策が必要になるはずです。

一刻も早く取り組むべきは温室効果ガスの削減です。私も初当選以来、長岡市内で発生する温室効果ガスの削減を訴えています(20年前は変わり者扱いされましたが)。しかし、「不便になるのは嫌だ」「自分の仕事に悪影響」などの理由で後ろ向きな反応を示す市民の方も多く、劇的に削減することはできていません。これらの反応は世界的に共通していると思われますので、「本格的な温暖化対策を行ってライフスタイルなどは変わっても、住民は幸せに暮らしている」という成功事例を長岡市で作り上げることは大きな意義があると考えています。

サッカー 日本代表

W杯グループリーグ最終戦の最終盤。日本の時間稼ぎが物議を醸しています。
今回の選択を全面的に批判するわけではありません。「現場にいれば、あのような判断をせざるを得ないのかもしれないな」とは思います。
しかし、勝負にこだわり過ぎていたように感じてしまうのです。もちろん勝負は重要です。しかし、それ以上に生き様や美学は重要だと思うのです。「最後まで全力プレーをした上での勝利」を目指してほしかったですね。別の言い方をすれば、勝つか負けるか二つに一つですから、勝ち方の美学、負け方の美学にこだわってほしかったですね。 

内閣支持率

以前から、安倍政権の物事の進め方が乱暴だと書いてきましたが、森友、加計問題に自衛隊日報隠蔽疑惑と、民主政治の根幹を揺るがすような問題が頻発しています。
私は、国会議員の秘書として永田町で5年半勤務したことがありますが、経験上これらの問題を首相や官邸(政権中枢)が知っていた&指示していた可能性が高いと思います(もし、知らなかったのであれば、それはそれで問題です)。
「外交など他にもっと議論しなくてはならない重要問題がある」と主張する方がおられますが、事実を改竄・隠蔽するような政府では、重要問題でも真実が語られずに、結果として適切な結論を出せない可能性があります。であるから、政治の根幹を揺るがすような問題なのです。

マスコミ各社の世論調査による内閣支持率は30~40%程度ですが、上記の問題の深刻さの割には高い支持率を維持していると思います。「アベノミクスへの評価が若年層で高い」ことが要因との分析結果があるようですが、経済が民主主義よりも上位に位置づけられる可能性があり、危惧しています。
また、「他に適当な政権が思い浮かばない」ことも支持要因と言われていますが、現政権がこれらの問題に真摯に、誠実に向き合っていれば話は別ですが、そのようには感じられませんから退場していただくしかないと思います。

日本では、民主主義の制度や仕組みはある程度整っていると思いますが、その基礎となる民主主義精神は十分には根付いていないと考えます。
民主主義を重要視しない民意が大きくなると、国民主権のわが国では民主主義の制度や仕組みも崩壊するでしょう。いや、数年前から崩壊しつつあるのではないでしょうか。

森友 文書改ざん問題

これまで安倍政権についてイロイロと書いてきましたが、予想通り内部に相当な歪みが生じていることが分かってきました。不公正の問題は、行政だけに限らず日本全体、世界全体に巣食っている問題ですが、これまで述べてきたとおり、安倍総理や安倍政権の体質や横暴な物事の進め方が、近年の行政や政治の歪みを助長してきたと私は考えます。そして、今回の決裁文書改ざん事件は、それが白日の下にさらされただけなのです。

「財務省が書き換えを認めた」とのニュースを聞き、私は思わず「これで政権は吹き飛ぶな」と妻に語りました。戦時中の大本営発表のようなものですから、重大な問題なのです。
1年前に森友問題が表面化した時、政権を揺るがしかねなかったからこそ総理は「関与していたら議員辞職する」と発言したわけで、その際に何の確認もせずに発言することはないはずです。また、発言後これほど重大な問題を「後は財務省に任せっきり」というのも非常に考えづらいし、任せっぱなしだとしたら、重大懸案事項ですから無責任と言わざるを得ません。いずれにしても、総理や官邸の責任は逃れられないと考えます。
さらに言えば、これだけの懸案事項ですから官邸が関与していた可能性が大きいと思います。

さて、この問題を巡るマスコミ報道ですが、事の重大性から考えると全体的にやや腰が引けているような印象です(例えば、安倍総理の責任にはほとんど言及されていない)。安倍政権になってマスコミへの圧力も強くなっていますから(国は以前から、ある程度の世論誘導を行っていますが)その影響なのか、あまりに重大事件過ぎて立ちすくんでいるのかわかりませんが、しっかりとした報道姿勢を望みます(もちろん冷静さが大切で、あおるようなことがあってはいけません)。

私自身のことを棚に上げて言えば、この問題も含めて最近の偽装の頻発をはじめとした数々の問題から、日本人の人としての劣化を感じます。何か問題が起こると、組織や仕事のやり方、チェック方法を変えて再発防止としますが、それでは限界があります。立派なというか真っ当な人間はほとんと悪事を働きませんから、そういった人間を育てることが社会にとって最も大切です。

自燈明

仕事柄、各種学校の卒業式に招いて頂くことがあります。
先日も、ある専門学校の卒業式で祝辞を述べさせていただきました。

経験上、冬季オリンピックが開催された年の卒業式では、オリンピックで活躍した選手のエピソードなどが餞の言葉として語られることが多いように感じます。

ピョンチャン五輪での日本人選手のコメントは、それまでの努力のプロセス(過程)や支援者に関するものが以前より増えたと感じています(私的には達観したような爽やかなコメントが増えて嬉しい)。増えた理由としては、①マスコミ対応の講習を受けている ②メダリストになるために精神面のトレーニングを行ったことで、ある境地に至った ③競技に熱心に取り組むことが自分自身を見つめることにつながった などがあるのではないかと考えています。
プロセスの重要性は以前に述べましたが、それを体現する選手が増えたのは嬉しいことです。例えばスピードスケートの小平選手。金メダルへのプロセスとしては最終段階での出来事ですが、彼女が滑り終わってオリンピックレコードで暫定1位になった場面。沸き立っている観客に対し静まるように促しました。金メダル獲得を最上位目的にしていたのであれば、観客をあおって会場を騒がしくすることなどで、次に滑るライバルの集中力を削ぐという手段もとれたのではないかと思います。

先日の祝辞でも、オリンピックの話から今後の社会人生活でのプロセスの重要性を述べました。しかし、プロセスが大切といっても、山の登り方がいくつもあるように、どのプロセスを選べば良いのかという基準が分からないことも多いと思います。
そこで、お釈迦様が残された「自燈明」の教えです。「人間は明日のことが分からず、人生は暗闇の中を手探りで生きているようなものだ。どこかに光がないかと求めたり、誰か光をあててくれないかと願うのではなく、自らの良心を灯として歩みなさい」という意味だと私は解釈しています。この良心で物事を選択することが大切なのだろうと思います。しかししかし、心を見つめてみると、怠け心、嫉妬心、猜疑心、恐怖心、欲…などがごちゃ混ぜになって見え、どれが良心なのかが分からないことも多いと思います。そんな時でも焦らず慌てず、じっくりと見続けていくと、そのうちに心の中が仕分けされ整理されてきて、なんとなく良心を感じることができるようになるはずです。良心が明確になればなるほど、プロセスを重視するようになると思います。プロセス重視で生きると、結果に左右されること(期待しない結果の場合は落ち込んだり不機嫌になる。期待通りの結果の場合は浮かれたり傲慢になる等)が少なくなるため、爽やかで晴れやかで安定した心理状態を保ちやすくなるので、結果として満足度の高い人生を送ることができるのだと思います。

このような話をしたのですが、20代の私だったら理解できていないでしょう(笑)。
以前に私の中学時代の校長先生のお話(この時も冬季オリンピックの話でしたが私は理解できませんでした)について書きましたが、同じように人生のある時点で思い起してもらえると有難いです。

本年も宜しくお願い致します

新年ですが、去年ネタです。
年末に車を運転中、ラジオ(NHK)で放送されていたこと。
話の途中から聴いたことと、運転中であったため正確に記述できないことをお断りしておきます。

日本の子供の自己肯定感が低いとの調査結果に対し、評論家が「親が高い偏差値や学力を子に求めすぎ。親は『愛と正義を持っていれば人生を渡っていける』ことを教えるべき」と語っていました。

同意‼
しかし、そのような教えを受けた親はどの程度いるのだろうか?

異様な総選挙

衆議院が解散しました。
新聞では「大義なき解散」「新党結成」「民進党が解党」などの見出しが躍っています(様々なメディアで様々に報道されています)。希望の党の結成や民進党の合流に「野合」「選挙目当て」などとの批判の声が上がっています。その批判はもっともですが、そのような状況になった大きな理由は「今なら選挙に勝てるから解散」を行ったからではないのかと思います。与党が強引かつ選挙に勝つために解散したので、野党の中でも強引かつ選挙に勝つために行動する党がでてきたのではないでしょうか。

とにもかくにも、健全な民主政治の基盤は健全な有権者です。
投票率が低くなれば、「ごく一部の人達の政治」「ごく一部の人達のための政治」になりがちだと思います。
とにかく投票に行きましょう。

今村前復興大臣と東京電力

今村前復興大臣は失言の責任をとって辞任しましたが、実質的には安倍総理から更迭されたと報道されています。退場処分ですよね。
東京電力は隠ぺいや改ざんといった数々の不祥事を重ねていますが、お灸をすえられることはあっても退場処分(原発からの退場処分も含めて)にはなりません。電力安定供給などの特別な事情があるにせよ、差がありすぎるように感じます。

森友学園と東京電力

たびたび更新が滞りまして、申し訳ありません。
森友学園騒動が収まりませんね。
学園側は小学校の設置認可申請を「不認可の可能性が高い」として自ら取り下げたそうですが、取り下げなくても認可が下りなかったと思われます。
翻って東京電力。この組織も多年にわたって不祥事が連続していますが、「原発運転の資格なし」との判断は下っていませんし、下される見込みもないようです。電力の安定供給は重要ですが、原発再稼働ありきの姿勢はいけません。

科学が追い付いてきた

これまた、少し古いネタで申し訳ありません。
私は瞑想が趣味であると以前に述べたことがあると思いますが、以前にテレビをつけたらNHKで瞑想の一種と思われる「マインドフルネス」について放映していたので、最後まで見てしまいました。

ストレスは心身に影響を及ぼすと言われてきましたが、そのメカニズムが分かると同時に対処方法もわかってきたようで、有効な対処方法の一つが「マインドフルネス」らしいのです。番組の途中から見たので私なりの解釈になりますが、キーワードは「今」ではないかと思います。人間は無意識に「過去を悔み・過去に浸り」過去にとらわれてしまいがちです。また同じく「未来を憂い・未来に期待する」未来にもとらわれてしまいがちで、今を実感する時間は驚くほど少なくなっていると思います。逆に言うと、ストレスは過去と未来への想いから生じているわけで、一番大切なのは「今、この瞬間」の連続でしょう。
そう考えると、幼い子供は今を生きているので、大人には命が輝いているように見えるのかもしれません。

また、番組前半では「コーピング」を紹介したそうです。
ストレス対策だそうですが、客観視や自己理解の要素が入っているようなので、それ以上の効果も期待できるのではないでしょうか。

コーピングもマインドフルネスも瞑想も、誰にでも簡単に(それもタダで(笑))できますので、興味のある方は番組HPをご覧頂くと良いと思います。
(瞑想については様々な瞑想法があるようです)

この件に関しては、人類が蓄積してきた知恵に科学が追いついてきた感じですね。

小学校の運動会で感じたこと

随分時間が経過しましたが、子どもの運動会に行ってきました。
地域在住ということで、我が子が入学する前から毎年お招き頂いているので、20回近く見させてもらっています。

この学校では、赤組と白組に分かれて優勝争いをする他に、応援の出来栄えを競う応援賞も設けられています。以前は、教育的配慮ということで、優勝しなかったチームに応援賞を授けるという傾向があったようです。しかし、ある時にある校長先生が「応援賞は優勝できなかった組がもらえる」と言った児童の言葉を聞き、やる気の低下を危惧されて改革し、以降は優勝と応援賞をダブルで獲得する年もあり、今年もそうなったのでした。
運動会は子どもにとっては一大行事です。今回も前回も、優勝と応援賞をダブルで逃した組には涙を流す児童もおり、「かわいそうだね」「非情すぎるのかもしれない」といった声が上がる一方、「人生の一ページだ」「つらいだろうが良い経験」と温かく見守る方々もおられました。

子どもに対する愛情に由来する「子どもにつらい経験はさせたくない」とか「この歳でこの経験はまだ早い」との思いには共感できますが、以前のように優勝しなかった組に応援賞を授けることで、子どもにショックを与えないほうが良いとは思えません。
人生は、いつ何時・何が起こるか分かりません。どう考えても子どもが自分で対処できなかったり、乗り越えられなかったりすることはできるだけ避けるように導くことは大前提ですが、何か起こった時に自分で対処したり乗り越えることを大人がサポートすることはとても大切だと思うのです。

ある教員の方が「今回の件を良い経験に転化できるように、子どもたちに向き合っていきます」とおっしゃっていましたが、素晴らしい目線だと思います。

親や教員がいつまでも子供について回って守ることは不可能です。何かを起こさないのではなく、何かあっても自分で対処し・乗り越えることができるように(自立ということですが)少しずつ導いていくことが必要でしょう。
さりとて、子の自立度や、どの程度の体験がその子にどの程度の影響を与えるのかの見極めはなかなか難しいと思います。やはり、日々地道に子どもと向き合っていくしかないのでしょう。

北海道の男児置き去り事件

北海道の山中で置き去りにされ行方不明となった7歳男児、見つかって一安心です。しかし、それは次なる心配を生み出しました。
今回の件が男児の心にどれ程の傷を与えたのかということです。
(ここからは、男児の性格や親子関係が分からないので一般論となります)
一度置き去りにした時は男児が車に追いついたので、再度置き去りにしたとのこと。男児は泣きじゃくり混乱して車が立ち去った方向とは逆方向に歩いて行ってしまったそうです。2度にわたって置き去りにされたことは相当なショックを感じているのではないかと思われます。
子にとって、親は神様のような存在です。親は見返りを要求しない愛情に従って、自分が生きていくうえで必要な自己肯定感や衣食住を与え、所作や知恵を教えて保護してくれるからです。
神様から一時的とはいえ徹底的に見放された心の傷は深く、今後の彼の生き方に大きな影響を与えるのではないかと思います。

しかし、親といっても完璧な親はいませんから、子どもとの関係に問題を抱えることは当たり前です。親子のトラブルによる心の傷は、それまでの信頼関係や周囲の人との人間関係の中で何とか回復することが多いと思います。
私の子ども時代にはよくある話だったと思いますが、私も家を叩き出されたことが数回あります(私は第一子だったのですが、2歳下と4歳下に妹と弟がいて、親の愛情や注目を一身に受けられなくなったストレスにより、いじめや我がままな行動をとっていたことが家を追い出された原因です)。しかし、今日まで何とか生きてこられましたから、ある程度は大丈夫だと思います(当然、個人差はありますが)。

親は親の考える方法で子を正そうとしているはずなので責めることはできないのですが、感情的で反射的な反応になっていることも多いのではないでしょうか。親も「感情的に怒る」のではなく「情熱的に叱る」努力が必要で、その努力を通じて人間的な成熟が進むと思います。最近では「アンガーコントロール」も注目されるようになってきましたね。
さらに言うと、今回の事件のように恐怖を与えることによって人(子)をコントロールすることは避けるべきだと思います。親子関係に限らず全ての人間関係において、恐怖心をあおって人をコントロールすることは不健全です。

男児の今後を心配しましたが、世の中には更に過酷な環境で生きている人々も
います。事件や災害や戦争などで近親者を失った人、見放された人、虐待を受けた人、等々。様々な人が様々な心の傷を背負って生きています。しかし、大きな希望は、自らの心の傷は、自ら癒すことができるということです。もちろん、他人との関わりで傷が癒されることもありますし、それが必要な状況もありますが、究極は他人に頼らなくとも自分自身に向き合うことで癒すことができるのです(子どもは難しいと思います)。セルフカウンセリングといった分野になりますが、これほど心強いものはないと思います。

画期的かもしれない方法

本日は議会の建設委員会が開かれたので、1月下旬の豪雪による渋滞について、今後の対策などを議論してきました。

1月24日から26日にかけてが最も大変な状況でした。
私もこの間に一度、車がスタック(立往生、タイヤが空転して動けない)してしまいました。また、4台のスタック車両の救出を手伝いました。ある車両の救出の際には、通りがかりの方が次々と手伝って下さり(総勢8人)、改めて人の優しさの素晴らしさを感じた次第です。
さて、この8人がかりでの作業はかなり困難なものでした。車両の下に相当な雪が入り込んだため、押しても引いても、雪を掻きだしても全く動きません。「JAFを呼ぶしかないけど、すぐには来れないと思うよ」との声も出始めた時、私にある閃きが…「できるだけの人間が車に乗ることで、下の雪を圧縮できるのでは?」。やってみました。フル乗車したうえで押してみましたが動かず。しかし、ドライバー以外が降車して押した時、見事に脱出したのです。その後、他の車両の時もこの方法で脱出できました。
スタックの状況によっては有効な方法かもしれません(乗ってから押すだけなので簡単です)。あくまでも「状況によっては」だと思います。場合によっては逆効果となることもあり得ますので、試される方はご注意願います。

欲しいもの

なかなか更新しませんが、今年もよろしくお願い致します。(^_^;)

以前から申し上げているように、日本も世界も社会の大きな転換点を迎えているはずなので、これからも様々な出来事が頻発すると思われますが、一喜一憂せずに腰を据えて少しずつ前進したいところです。

さて、子どもにとっては年末のクリスマスプレゼントと正月のお年玉という刺激が連続することで、一年で最も物欲の高まる時期ではないかと思います。先日、我が子が「自分の欲しいものベスト5を決めたんだけど、お父さんの欲しいものは何?」と聞いてきました。私は「必要なものはあるけど、欲しいものは特にないな~」と答えました。更に「欲しいものがあると幸せになれないんだよ」と付け加えてしまいました。優しい言葉づかいで意味の解説もしたのですが、二言目はいらなかったかもしれませんね(反省)。

熱帯夜に おすすめ

今年の春は市議選があり、選挙の後も後片付けや挨拶まわりなどで多忙だったため土づくりができず、緑のカーテンは休みの年としました。

そこへきて梅雨明け前から猛暑日となり、家族と私の安眠維持のために何かしなくてはと思い情報収集すると、冷感シーツ や 竹シーツ といった製品を発見。ある程度の効果が見込めそうなので、ダブルサイズを1枚づつ購入しました(各々5,000円程度)。私と娘が寝ている布団に冷感シーツを、嫁さんと息子が寝ている布団に竹シーツをセットして比べてみました。その結果、明らかに竹シーツのほうがイイ。あまりに差があるので竹シーツを追加購入した次第です。

我が家の寝室はエアコン不設置なので関係ないですが、これなら夜のエアコン使用を減らせるのではないかと思います。
環境意識の高い人や寝苦しい夜に悩まされている人におすすめです。
(冷感シーツも竹シーツも結構な種類の製品が販売されていますし、感じ方には個人差があると思われるのでご注意ください)

「自虐」と「反省」の違い ~紙一重のようで大きな違い~

安倍政権下で、教科書問題や戦後70年談話などを巡って、自虐史観が問題視されています。
以前に同趣旨の書き込みを行っていますが、若干手を加えて再投稿します。

「反省=自虐」又は「反省≒自虐」と捉えてしまいがちですが、本来は全く違うものだと感じています。
反省は冷静に(客観的に・公平に)省みるものであり、気づきを得ることができますが、自虐は感情的で責め心を伴い、辛くなるものだと思います。反省は個人や国家を豊かにしてくれるものだから必要ですが、自虐は不必要であると私は思います。
従って、過去の国家の行為を自虐的に反省する必要はないと考えますが、反省はしなくてはならないと考えます。

このように、紙一重の違いだけで同じように感じるけれども、実はその紙一重が決定的な違いになっていることは結構あるように思います。
感情的・情熱的、怒る・叱る、競争・競う、非難・批判、急ぐ・焦るといった紙一重に対する感性を磨くと、人生が豊かになると思います。

「生きるために生きる」のか

明けましておめでとうございます。
新年早々 重いテーマで申し訳ありません(笑)。
様々な方と話をしていると「生きるためには食わなきゃいけない、そして食うためには稼がなきゃいけない、だから仕事をしなくてはならない」と考えている人が結構いらっしゃるように感じます。この人生観は「明日生きるために、今日仕事をして生きている」という自転車操業的なもので、単に生きることそのものが人生の目的になっているのではないでしょうか。更にいえば、人によっては「死ねないから生きている」「しょうがないから生きている」という後ろ向きな考え方も感じます。その場合でも、人生においてある程度の喜びや幸せを感じることはできるでしょうが、深い喜びや充実感を感じることは難しいと思います。
「維持している命をどのように使うのか」「自分は何のために生きているのか」を考えることは、充実した人生を送るために役立つものだと思います。

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