桜を見る会の実態を追及している野党に対して、「もっと大事な問題を議論してほしい」「いつまでやってるのだ」との批判が浴びせられています。
権力闘争として感情的に追及するように感じる野党の在り方にも問題はあると思いますが、不透明な実態を解明しようとする側が批判されるのもおかしな話です。
私は桜の問題は徹底的な解明が必要と考えます。公文書の改ざん・隠ぺい・破棄が常態化しているような政府を放置していては、今後もそれが続くと思われます。民主主義においてはプロセス(過程)と結果が重要であり、後に検証できるようにしておくことが「間違ったことをしてはならない」という動機づけにもなるはずです。そのプロセスも結果も、改ざん・隠ぺい・破棄されるのであれば、権力側はやりたい放題ということになり、今後の政府の体質として根付いてしまうのではと危惧します。
そして、こんなことを行う政府を相手に他の重要な問題を議論してよいのかという疑問も生じます。重要問題でも改ざん・隠ぺい・破棄を行っている可能性があり、改ざん・隠ぺい・破棄された内容をもとに議論しても正当な結論を導くことはできません。個人に置き換えると、住宅の建設や生命保険といった重要な問題の相手方の社員がウソをついたり、ごまかしたり、丁寧に説明すると言うだけで誠意のない返答を繰り返していたならば、それ以上話を進めることはできないはずです。