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体罰

体罰

この春に体罰が問題になりました。
殴ることそのものの是非が議論されているようで、それはそれで大切なことですが、行為の裏にある心の状態 ― 怒り(自分に不都合)だったのか愛情だったのかといったこと ― にも着目しなくてはならないと思います。
極端な例ですが、目の前の生徒や知人が包丁を持って「○○○を襲ってくる」などと言って飛び出して行く時には、殴ってでも止めなければならないでしょう。

愛情から殴ったのだとすれば(実際には愛情や怒りが混ざっていることも多いと思いますが)、私はある程度許容できます。しかし、愛情から殴る場合というのは極めて限定された場面(最終手段・緊急手段)であるはずなので、やたらと殴ったり、何度も殴るなどということはあり得ないでしょう。
今回問題となっているのは、怒りやストレスから殴った事案のように見えます。だとすれば、なぜ怒りなどが生じたのか、怒らずに済ますためにはどのようなことが必要か、といった怒りを含めた感情の構造や心の構造から解決策を導かなくては根本的な解決にはなりません。

「殴ってはいけない」という法律や規律を作れば、表面的な「殴る行為」はなくなるかもしれませんが、別の形(言葉の暴力や陰湿ないじめ等)で心の歪みが表現されてしまいます。