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政治家の説明責任と有権者の理解責任

政治家の説明責任と有権者の理解責任

  • 2005年09月10日(土) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 今回の選挙に際し、郵政民営化法案に反対した議員が「民営化には賛成だが、今回の法案は内容に問題があったので反対」とテレビ番組で発言する姿を良く見た。それに対して、みのもんた氏他数名のキャスターやコメンテーターが「そんなことではダメだ、良いのか悪いのか非常に分かりにくい」と様々な番組で発言していました。

 みの氏等の率直な感想なのでしょうから、それはそれで問題ないと思います。しかし、「民営化には賛成だが、今回は内容が悪いので反対」の意味が分かりにくいという感性に問題があるような気がします。私の感覚では十分に意味の通じる話だと思うのです(分かりにくいと言う人の気持ちも理解できますが)。例えが適切かどうか不安ですが、こんなことではないでしょうか、「ご飯は食いたいけど、この飯には毒が入っているので食べない(ちゃんとしたご飯が食べたい)」と言う人に、「食べたいのか、食べたくないのかどっちなんだ」と言う事。

 確かに、最近では議員や行政の説明責任が問われており、相手に理解してもらえるように話すことも絶対に必要なのです(私も、できる限り気を使って話します)が、有権者にも理解しようとする姿勢がなければ十分なコミュニケーションは取れません。

 今回の件で言えば、民営化賛成だが法案反対の方たちが、正しいと考える民営化の対案を出さなかったことも問題を複雑にしていると思います。

 「有権者は、よく見て、よく考えて投票を」と訴えているキャスターやコメンテーターもいらっしゃいまして、私はこちらのほうに共感を覚えます。

 政治不信を招いたのは、これまでの政治家(私も含め)の責任と思いますが、そういった人たちを選んできた有権者の責任も考えなくてはならないと思います。

 総括しますと、政治家も有権者も相手の責任に強く焦点を当てるのではなく、自らの責任を全うすることに強く焦点を当て、自らの立場で出来ることを一生懸命やっていくことが政治の質を高めることにつながると思います。