10月23日の中越地震から5ヶ月が過ぎました。
いろいろなことが押し寄せてきたからなのか、心に余裕がなかったのか、本日までホームページの更新が滞ってしまいましたが、復活したいと思います。
我が家は、屋根瓦が吹っ飛んだり壁に亀裂が入ったりはしましたが、居住するには問題ありません。ただ、家の中の物は目茶苦茶になったので整理が大変でした。また、報道されている通り余震がひどく、しばらくは路上生活(車中生活)をしていました。
本震の時、私は子供と嫁さんとで外出していたのですが、立っていられない程の強い揺れでした。家では、いつも子供を寝かせておく居間の真ん中に本棚が倒れてきていたので、運が良かったと思います。
当時、生後5ヶ月だった我が子「多笑」は、10月27日の大きな余震以後に泣き声に少し変化が見られました。地震の影響なのか、たまたまなのか、はたまた親が慌てふためいた影響かは分かりません。
中越地震後の行動や学んだことについては「せきたか通信№6」に記載しました、今後、ホームページに掲載しますので、そちらをご覧下さい。
地震後の少し落ち着いたところで、趣味?である「自分自身を見つめること」を行いました。すると・・・、まず余震を怖がっている自分が見え、それは死への恐怖から起こっていることも分かりました。3年前の交通事故以来、自分は一度死んだものと思って暮らしてきましたが、いつの間にか元に戻っていたのです(死への恐怖を克服することは、命を粗末にする事ではありません)。身体を持って生きている以上、生命維持が至上命題になってしまうのは仕方がないのかもしれません。しかし、生命維持が人生の最大の目的だとすれば、全ての人間の人生は悲哀なものになってしまいます。なぜなら、永遠に生きることができない、つまり終わりのあるものを維持し続けることは無理であり、矛盾しているからです。では何が大切なのか? 私は「生き様・生き方」こそが一番大切なものだと再認識することができました。
当時、ある方の傾きかけた家屋に調査に入らなければならなかった時、「ここで余震が起こったら、倒壊して下敷きになるかもしれない」と不安な思いがよぎり落ち着けなかったのですが、「本当に大切なのは生き様なんだよな」と思い起こしたら不思議と落ち着きを取り戻せました。その家屋には、どうしても入らなければならなかった訳ですが(それこそ生き様として)、その間の時間を不安な気持ちで過ごすのか、落ち着いて過ごすのかは気持ちの持ちようで変えることができたのです。
切羽詰った時ほど心の状態が行動や言動に大きく影響するのかもしれません。
