まずは用語解説
【会派】市政に対して同じ考えを持つ議員のグループで、基本的に2人以上で認められる。議会運営上の組織で、法律で定められているわけではなく、会派内の議論は非公開。国会に例えると、政党のようなもの。
【各派代表者会議】各会派の代表者による会議で、議会運営(会議日程・海外視察等の議会予算・議会人事・議員控室等々)は実質上ここで決まるが、非公開。これも議会運営上の機関で、法律で定められているわけではない。国会でいえば国会対策委員会(いわゆる国対政治)。会派と認められない無所属議員は参加できない。*会派制(会派と各派代表者会議による議会運営)は多くの地方議会で採用されており、国会に似せて作ったとの説が有力。
【本会議】公式機関かつ意思決定機関。公開が原則。
【委員会】公式機関。全てを本会議で議論できないので、分野ごとに委員会を設置している。長岡では公開が原則。*法律上の議会組織は本会議・委員会・議会事務局のみです。
私は、会派制(会派や各派代表者会議を中心にした議会運営)の長所を認めつつも、現状では短所の方が大きく、結果として議会の硬直化や市民の関心の低下を招いていると感じています。現状の会派制に疑問を呈している私は、このシステムに入らず当面は無所属のままでいようと思います。「多様性の共生」の時代と言われていますので、こんな議員が一人くらい居た方が良いのではないでしょうか。
無所属議員が私一人になったとはいえ(議長は形式的無所属ですが)、新会派を結成した西沢・桑原両議員とは議会に対する問題意識を共有していますので、私は外から、両議員は内からと役割分担をして議会改革を進めたいと思っています。
現状の会派制に関して感じることアレコレ
① 国会は政党政治で、選挙では所属政党が明らかになっており、有権者は政党色も含めて判断できる。しかし、市会議員の選挙では所属会派が明らかになっておらず(政党と違って、会派の政策も公表されていない)、有権者は議員個人に負託しているのであるが、実際の議会運営は会派中心に行なわれる。市民から見て、この”見えにくさ”と”分かりにくさ”が市政への関心低下の一因である。
② 国会のように700人も議員がいれば、政党・会派といった議員グループを作って代表者が話し合わなければ収拾がつかないであろうが、長岡市議会は33人なので、このシステムは必要ない。むしろ、いちいち全員が集まって学級会のように議論したほうが活性化するし、頻繁に拘束されるくらいの給料は頂いていると思う。
③ 本来であれば、各議員が公開の場(本会議や委員会)で自らの考えを述べ、議論するべきであるが、あらかじめ各会派内で意思統一を図る(そして会派拘束をかける)場合がある。なおかつ、会派内での議論が公になることはなく、意思決定の過程が見えにくい。
④ 私は、各派代表者会議に参加できないので、議会そのものへの提言に不都合を感じることはあるが、委員会や本会議での発言には制限がないので、行政との議論には支障がない。
⑤ 議会内では「会派制は長岡市議会の伝統だ」との認識が強いが、そもそも会派制は円滑な議会運営を確保するための手段である。会派制という手段(組織論で言えば縦組織)は、今日までの政治状況には有効だったかもしれないが、手段は状況の変化に応じて変えなければならない。更に言えば、長岡市議会の伝統を「全議員が、発言の自由・平等・公開の下で活発かつ徹底的に議論して結論を得る」ものに変えていかなくてはなりません。
⑥ 現在の会派制は、全議員が会派に属していることを前提にしたものだと感じます。無所属議員が現れた時点で意思決定システムの変更が必要だったと思います。議会が、状況に応じた議会改革を速やかに行なえなくては、行政に対して行政改革を訴える迫力に欠けます。
⑦ 一般社会では、より良い結論を出すために、できるだけ多くの人からの意見を募集します(一流企業に至っては「苦情・クレームは宝の山」との認識です)。議会の中で、全ての議員が活発にモノを言える”開かれた議会運営”ができずに、市民に対して開かれた議会を実現するのは難しいでしょう。そういった意味で、無所属議員がいることによって問題提起ができると思います。バリアフリーやユニバーサルデザインの時代です。
補足
似て非なるものの一つに、「批(非)判」と「非(批)難」があります。批判は間違っていると判断したり、批評すること。非難は間違っていることを責めたり、とがめることです。批判には感情が入らず、非難には感情が入っているようです。今の日本には批判できる人が少なく、多くの人は非難してしまっているのではないでしょうか。
私のこの文章は、勿論「批判」です。
私の考える「議会のあり方」「議会改革」は改めて書き込みます。
