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事故報告  ―気付いた事―

 先日、自損車のドライバーがお見舞いに来てくれ、事故直後の様子を聞く事ができました。

 私は路上に倒れていたのではなく、中央分離帯ガードレールのすぐ脇に倒れていたそうです。自損車に激突したトラックは、それでも止まらず直進していたという事なので、少しずれて走行車線に放り出されていたら、トラックにひかれていたでしょうし、逆方向にずれてガードレールに激突していても、今こうして文章を作っていなかったのではないかと思います。とても絶妙(微妙)な位置に倒れていたということです。

 それに、倒れていた位置から推測すると、自損車を吹っ飛ばした後のトラックに直接跳ねられた可能性もあるようです。いずれにしても知れば知る程、生きているのが奇跡というような気持ちになってきます。

 さて、この事故は私にとって大変意義深いものとなりました。いつか私が本当に死ぬ時(今回は仮想死か)に自分の人生を振り返るのであれば、大きなターニングポイントになっているのかもしれません。

 今回、親の存在を強く意識しました。

 事故の瞬間、母は私の車に乗っており、大きな激突音を聞いたはずです。しかし、半身不随のため、振り返る事ができず(自損車前方の路肩に駐車していました)さぞかし心配だったことでしょう。

 路肩のガードレールの外に退避し倒れている私を、後続車から降りてきてくれたであろう女性が介護してくれました。私はまず「俺は大丈夫だから、早く発煙筒を焚いて」と頼み、その後「この先の長岡ナンバーのシビックに母が乗っている。言語障害だが、ゆっくりと話せば幾らかは理解できるので状況を説明してきて欲しい。その際、私の命に別状はない事と、警察に頼んで私の搬送される病院に車を持って来て貰うようにお願いするから、安心してそのまま乗っているように伝えて下さい」とお願いしました。後に警察から聞いた話では、私の車を移動させようと車に乗り込もうとした時に、母は必死に外に出ようとしていたそうです。

 病院で応急手当を終えICU(集中治療室)に移動する際(首もほとんど動きません)、視界の端に車椅子に乗る母の姿が見えました。左手と左足で車椅子をこぐ母が、ゆっくりと(本人にとっては全力だったと思いますが)近づいてきます。言葉を話せないので、涙を流しながら口を動かしていました。私は「心配ない。大丈夫」と言って、痛む右手で(右側に寄って来てくれたので)母の左手を握りました。

 父が母を連れて帰った後、息子のこんな状況に出くわした母の辛さを思いやった時、「親に心配かけてはいかんな。俺の親は子のためなら死んでくれるんだろうな。自分の命を投げ打っても、子を守りたいんだろうな」との思いが湧いてきて、私の目からも涙が流れました。

 死んでいたかもしれないと思うと、自分自身の人生を振り返ってしまいます。その時に感じたのは、「人生はドラマのようなもので、登場人物の皆さん(たとえ悪役でも)には感謝しかない」ということです。テレビのドラマや映画を見て面白く感じるのは、主役がいろいろな場面に遭遇し喜怒哀楽を表現するからではないでしょうか。最初から最後まで楽しく・うまくいく話だけではなく、辛い事や困難に遭遇することでストーリーが成り立つのではないでしょうか。

 そういった見方をすると、私を怒らせてくれたAさん、私を悩ませてくれたBさん、悲しませてくれたCさんも、実は「関たかし劇場」が充実する為に必要な人たちだったのです。つまり、出逢う人たち全てに感謝なんですね。
これから先の人生も、いろいろな事が起こるでしょうが、人生劇場の終わりには全て感謝に変わると分かり、力まずに生きてゆけそうです。

 そして、そんな気持ちになってくると、「私は、今まで感謝の気持ちを伝えてきただろうか? いや、だいたい感謝だなんてことすら感じていなかった」ということが分かってきます。

 これまで私は、人に感謝される生き方を目指してきました。それはそれで結構な事なんですが、これからは人に感謝する生き方を目指したいと思います。本当に死ぬ時に後悔しないためにも・・・・。

 生きている事って素晴らしい事です。

 分かっていたことですが、今回はそれを感じる事ができました。「分かる」と「感じる」と「できる」の違いって大きいですよね。

 私は今まで、人間は「何になる(社長になるとか偉くなるという肩書きの事)」とか「何をする(何かをやり遂げる、人のためにするという事)」よりも「どう生きるか(人に優しくとか前向きにという事)」が大切だと考えてきたのですが、生きている素晴らしさを感じると、「どう生きるか」さえ重要ではないと思うようになりました。重要でないからといって、「いい加減でよい」とか「なげやりでいい」ということはありません。「いい」「加減」が必要なのです。

 命は、儚くもあり力強くもあり、とても精妙なものだと思います。今この瞬間に、心臓や肺が動き、血液がめぐり、身体の全ての細胞が機能している有難さと素晴らしさ。生きている事が素晴らしいってことは、人間も含めた生き物すべてが素晴らしいってことです。世の中は生き物だらけなので、世の中も素晴らしいってことになります。「自分自身も素晴らしく、他人も世の中も素晴らしい」との認識の上で、どう生き・何をなし・何になるのかを考えた時、人生の目的が一層クリアになりました。

 私は事故直後から「良かった、有り難い」といった感謝の気持ちが溢れ、「なんで俺だけが」とか「あの運転手がこうしていなければ」といった「悔やみ」や「恨み」の気持ちは全くありませんでした。もしかすると、そのおかげでストレスがたまらず、自然治癒力が増し、回復が早まり、後遺症もでなかったのかもしれません。