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交通事故で全治6週間の重傷

 私の母は言語障害と右半身麻痺の症状がなかなか改善しません。埼玉県に脳梗塞を治す医者がいらっしゃると聞き、6月16日(日)に母を連れて行きました。その治療所は大変混んでおり、治療が終わったのは午後8時でした。

 夕食を済ませ、関越自動車道の月夜野インター付近に差し掛かったのは午後10時50分位です。雨が降る中、右カーブを立ち上がると、中央分離帯にフロントから突っ込み、追い越し車線をふさいでいる自損車(事故車)が目に入ってきました。私は走行車線を走っており難なくかわすことができたのですが、周囲の状況から私が第一発見者であると判断できました(自損車のドライバーの証言では、私の前に数台が通過していったそうですが)。車を路肩に寄せ、警察に電話をしたところ、やはり私が第一通報者であったので、現場へ急行してもらうようにお願いし、母に「事故車を助けてくるから待っててくれ」と言って下車し、事故車に駆け寄りました。もう一人の救援者が助手席から発煙筒を取り出していて、運転手は傍らにたたずんでおり、体は大丈夫との事でした。そして、発煙筒を焚こうとした瞬間に、カーブから追い越し車線を走るトラックが現れました。

ファイル 79-1.gif 「ヤバイ、逃げろ」と叫んで、3人は走り出します。トラックのクラクションが聞こえた次の瞬間、私の体に体験した事のない強い衝撃が走りました(今思えば、テレビ番組の衝撃映像のように、ここでビデオカメラが止まってしまったような感覚です)。後の現場検証によると、トラックは時速100㌔で走行しており、ブレーキを踏む間もなく自損車に衝突し、自損車は中央分離帯とは反対の路肩のガードレールまで吹っ飛んでいたそうです。私はその自損車に追突され、道路に叩きつけられたと推測されます。すぐに気が付き(再びビデオカメラのスイッチが入ったような感覚)自分が路上に横たわっていると認識し、「このままでは後続車にひかれる」と思い、自力で路肩のガードレールの外まで避難しました。ここで力尽き、以後二日間は左手以外ほとんど動かす事ができなくなります。救急車で月夜野病院へ搬送していただき、肋骨骨折・肺挫傷・全身打撲等で全治6週間の重傷と診断され、目尻も数針縫いました。幸いな事に、この事故での人的被害は私一人で済みました。

 1週間ほどで肺挫傷も収まり、内蔵・心臓・脳への影響も見られず、ヨチヨチ歩行も可能となった為、24日に退院し、自宅療養中です。

 本日現在では、骨折箇所や首から右肩にかけての痛みの他、和らいだとはいえ全身いたるところに痛みを感じております。後遺症の可能性も指摘されていますので、徐々に社会復帰していこうと考えています。

 また、病院のベットの上で私の人生に於いて非常に大切な事に気付いたので、後日報告いたします。(こういった事故に遭って価値観が変わる人もいますよね。私も今回の事故を前向きにとらえています)

 死んでいても不思議ではなかった事故だと思います。

 人生、何が起こるか分かりませんので、その時々「我が」「まま」に生きていきましょう(「我がまま」ではないですよ)。