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亀田騒動

前回の亀田一家に関する書き込みは、出張で家を出る間際に行ったもので、言葉足らずの面があったかもしれません。
本日、亀田家長男(興毅)が謝罪会見をして一区切りついたようなので、追加書き込みを行います。

前回言いたかったのは、心を見つめる事(自分の心も、他人の心も)の大切さです。心をどの切り口で見るかによって、単純にも複雑にも見えるものだと思いますが、心全体を常に捉えていたいものだと思います。

前回書き込みの日の夕方、亀田家の一回目の謝罪会見が開かれました。出張先で早めにホテルに入れたもので、夕方のニュースでじっくり見ることができました。
弟(大毅)さんの姿を見て、ホテル東横インの社長の会見(不正改造の謝罪)を思い起こしました。「利益追求のためだった。自分を上等な人間だと思っていたことが恥かしい。早く直したい」といった旨の言葉とともに、深くうなだれ涙する姿に、心から反省したんだなと感じました。最近は様々な謝罪会見が開かれますが、東横イン社長の姿は当事者が本当に反省したという印象を受けた数少ない会見であったと感じます(今、この社長がどうしているかは分かりません。一時反省しても元に戻ることもありますから)。
弟さんの場合も事の重大さを感じているという意味では同様に見えますが、反省したというよりショックを感じている状態のように見え、ここが東横インの場合とは決定的に違うと感じます。本当の深い反省をすると(前回も書きましたが、その為には相当な葛藤が必要な場合があります)、心が前向きになるものだと思います。

少々唐突ですが、私は自分自身も含め、多くの人が「責めのエネルギー」を持っていると思っています。この「責めのエネルギー」が外に向かうと他人を責める(発展すると傷害など)ことになり、内に向かうと自分を責める(発展すると自閉や自殺など)ことになります。亀田家は「責めのエネルギー」を外に向けてきたようなので、これが今回を機に内に向かないことを祈っています。「責めのエネルギーは」内に向いても、外に向いてもうまくありません。「責めのエネルギー」そのものが必要ないことに気付かなくてはならないと思います(気付くと、このエネルギーは減っていくようです)。

人はどんな些細な事からも心の学びを得ることはできると思っていますが、今回の亀田騒動も多くの人(当事者・マスコミ・評論家・国民(私も含む))が学ぶ機会にできるのではないかと思います。

亀田一家

亀田一家騒動が連日報道されています。
私は少年時代に熱狂的な格闘技ファンだった為(中学ではプロレスラーになることも考えていたくらいです(笑))、この試合にも注目していました。
亀田一家が処分されたわけですが、報道されている内容を見聞きすると、亀田選手(兄弟)が反省して復帰するシナリオを前提に物事を捉えているように感じます。私はその辺は怪しいのではないかと感じます。

話は変わりますが、安倍前総理が外国で「職責をとして」と発言したことがありました。その当時のマスコミの論調は「駆け引き」とか「必死さをアピール」といったものでしたが、私は「やめたがっているのでは」と思っていました(まさか、あんなに早く、あんなタイミングでとは思いませんでしたが)。人間の心というものを考え、本人の立場にたってみると、周囲の判断と本人の判断が異なる場合が多々あります。

今回の場合も、予測通り反省して復帰することもあるかもしれませんが、「ほなやめたるわ」ということになるかもしれません。彼らのこれまでの生き方から推測するとやめるほうが楽なような気もするのです。反省して復帰する場合は相当な心の葛藤を経なくてはならないと思うのです。まあ、抱えているものやこだわっているものがいろいろあるでしょうから、最終判断はどのようになるのか分かりませんが、マスコミが言っているような単純なものではないと思います。

心って、単純なようでもあるし、複雑怪奇でもありますね。

多治見市長  ~温暖化ネタ~

先日、温暖化の認識が甘いと書き込みましたが、また目に留まったもので・・・・。

日本の観測史上最高気温を記録した多治見市長のコメント、「知名度が上がって良かったが、熱中症には十分注意してほしい」。
テレビで放映されたコメントですから、これ以外のこともおっしゃっているのかもしれませんが(マスコミは、発言者の意図を十分汲み取って報道していない場合もありますので)、もし放映された部分に市長の力点が置かれていたならば、これも認識不足だと思います。
「このまま温暖化を放置していたら大変なことになる。国の取り組みでは不十分なので、多治見市は本腰を入れた温暖化対策を世界に発信していきます」っていうようなコメントが出ていれば私的には拍手喝さいなんですけど、「知名度が上がって良かった」は如何なものかと・・・。

それから、今回の一連の猛暑報道を見ていて気付いたことがあります。
数年前の猛暑報道の際には、その原因が海流だとか偏西風の変化だとか言っていて、温暖化との関連は聞かれなかったのです(私がニュースを見た範囲で)。今回もラニーニャ現象だとか、高気圧の位置だとかいった解説が多かったとは思いますが、「温暖化がベースにある」との解説もいくつか見ることができました。

報道番組・ミミズ ~温暖化ネタ~

昨日の朝「みのもんた」さんの番組で、「北極の氷が過去最小となった」とのニュースを取り上げていました。
コメンテーターには前宮城県知事の浅野さんや元キャスターの杉尾さん等が揃っていました。

みのさん「北極の氷が溶けると何か問題があるの?」
杉尾さん「海面が上昇するのです」
浅野さん「いや、南極の氷は大陸の上に乗っているので融けると海面は上昇するけど、北極の氷は海に浮いているので融けても海面は上昇しない。それにしても、自分が生きている間に温暖化の影響が出るとは思ってもいなかった」
こんな感じの会話が交わされ、「ではCMです」となりました。

私は「おいおい、チョッと待ってくれよ。このニュースを取り上げてくれるのはいいんだけど、ちゃんとした認識を持って伝えないと意味がないぞ」と思いチャンネルを変えました。
実は、北極の氷の減少は様々な影響を及ぼす可能性が指摘されています。例えば「氷の面積が減ったことで太陽光を反射しにくくなり、水温と気温がさらに上昇する」とか、「海洋循環に大きな影響が及び、その結果氷河期となる」等など。また、今回の観測結果から、温暖化の速度が従来の予想をはるかに上回っている可能性も指摘されています。だから今回のニュースは大問題なのです。
杉尾さんの「北極の氷が融けると海面が上昇する」という発言や、浅野さんの「自分の生きている間に温暖化の影響は出ないと思っていた」という発言にもビックリしました。これほどの人達でさえこの程度の認識だということで「日本人は環境問題に対する知識が乏しい」というデータを再認識させられました。

チョットしてからチャンネルを戻すと、いかにも急遽出演しましたといった感じのTシャツ姿の人(スタッフっぽい)が、通常ではないカメラアングル(スタジオの端)で「北極の氷が融けると大変なんです」といったコメントを述べていました。それに対して、みのさんが「じゃあ、北極の氷は融かさないほうがいいんだね?」と聞くと、Tシャツ姿の人が「できれば」と答えていました。「できれば」ですか・・・・。

同じく昨日、信濃川の土手を自転車で通行していると、道路に細長いものが点々と散乱しています。よく見ると、なんと大量のミミズたち。
ミミズが地上に出てきて干からびている姿はよく目撃しますが、これほど大量に見るのは初めてです。原因はよく分かりませんが、異常高温で土の中も住みづらくなっているのかもしれませんね。

柏崎でのボランティア活動に参加しました

再び大地が揺れました。
中越地域の住民は、3年前の地震の余震も含め、ここ数年で世界中で最も揺れを体験している人間ではないかと思います。
我々は、この試練を乗り越えていかなくてはなりません。

昨日、知人と柏崎市に行ってきました。
3年前の水害の時にもボランティア活動に参加していますが、同じ災害ボランティアでも、水害と地震とでは活動内容といいますか質が違うことを改めて認識しました(中越地震の際は仕事優先だったのでボランティアの現場には出ていませんが、薄々は感じていました)。

現地の状況からして、中越地震の時と同じく、平穏な生活(心も含めて)を取り戻すには時間がかかると思われます。3年前の教訓を最大限に活かさなくてはなりません。

それにしても、今回も時間とお金をかけて日本中からボランティアが集まってくれています。寝袋持参の方もたくさんおられました。こういった方々を見ていると、その想いに感動し、思わず目頭が熱くなってしまいます。そして、「このような人の想いが世の中を好転させていくのではないか」と感じてなりません。
大災害という悲惨な状況の中でも、次の時代の光が見えているのではないでしょうか。

仕事の都合上、しばらくはボランティアの時間は取れないのですが、時間を作れるようになった時に、まだボランティアニーズがあれば再度行ってこようと思っています。

ゆとり教育

  • 2007年06月02日(土) 22時11分
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教育再生会議の2次報告がまとまり、この中に授業時間の増加が盛り込まれました。私は「ゆとり教育」に賛同していますが、どうも方向転換しそうな様相です。

正直、現在の「ゆとり教育」はうまくいっていないと思います。その理由は、教育だけに「ゆとり」を導入したためだと思います。学校教育を終えて出て行く現代社会は相変わらずの競争社会・ファスト社会で、競争に勝ち続けられる人材(あくまで、目先の競争・短期的競争なのですが)を求めているのです。
「ゆとり教育」の理念は素晴らしいと思います。その理念を延長して、世の中も「ゆとり社会」に転換し、整合した国づくり・まちづくりを実現したいものです。

松岡大臣が自殺

  • 2007年06月02日(土) 21時58分
  • 分類:日記
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日本は1年に3万人が自殺する国です。
何故自殺するのか? 様々な理由があるのでしょうが、私は「自分自身に生きる価値がないと思い込んでいるから」だと思っています。言い換えれば「自分自身の素晴らしさや尊さに気付いていないから」だと思います。これまでにも述べてきましたが、ここで言う素晴らしさや尊さは、決して人と比べてとか、肩書きとか、何を成したとかではありません。まさに、命そのものの絶対的な素晴らしさや尊さです。この素晴らしさ・尊さを感じていない人のエネルギーが、内に向いた場合は自殺、外に向いた場合が他殺となってしまうと考えています。自殺と他殺に共通するのは、命の素晴らしさや尊さを感じる心、つまり自己肯定感や自尊心の欠如だと思います。

選挙を終えて

  • 2007年04月24日(火) 21時53分
  • 分類:日記
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私にとって3度目の挑戦となる長岡市議会議員選挙が終わりました。
私の得票は3424票で、46人中14位という結果でした。

過去2回の選挙もそうだったのですが、当選した瞬間に責任をズッシリと感じるので、喜びが爆発するということはありません(嬉しいのですが、大喜びとまではいきません)。不幸な性格なのかもしれませんが(笑)、それでいいと思っています。

さて、今回は予想よりも多くの票を頂きました。
その要因としては、①支援者の方々の頑張り ②私の主義・主張が、これまで以上に支援者の方々に伝わった ③幸か不幸か、私が提起してきた問題(環境問題・精神問題・政務調査費問題などなど)に対する認識が、有権者の間に広がっていた 等が挙げられると思います。

今後も精一杯努力してまいりますので、宜しくお願い致します。

少子化問題の問題

  • 2007年04月14日(土) 07時53分
  • 分類:日記
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ここ数年、少子化が問題視され、子育て支援の拡充が求められています。
しかし、何かおかしな方に向かっている気がします。

子育て支援といっても、「子育てする親の支援」の意味合いが強いように感じます。保育園の新設や延長保育、放課後児童クラブの設置など、極端に言うと「子供を産んでも仕事に支障のない仕組み作り」に向かっているのだと思います。子育て中の親を支援することに何ら違和感はありません。私の感じる違和感は、現在の子育て支援のメニューの中に、子供の気持ちを汲み取ったものがあるのか?ということです。子供の親を中心にして考えるのではなく、子供にとってよりよい環境作りが求められているのではないでしょうか。親が子供にじっくりと向き合う時間=子育ての時間を確保してあげること、その為に経済的な支援をすることも考えなくてはならないと思います。「子育て支援+子育ち支援」が必要だと思っています。
先日、ラジオから「子育てに魅力を感じなくなった生物種は絶滅する」という言葉が聞こえてきました。我々のDNAに本来刻まれている生き方(自然な生き方)が失われつつあるのですね。「子は宝」を再認識したいものです。

また、人口問題についても違和感を感じます。
「人口減少は大変なことだ」といった認識が広がっているように感じますが、私はそうは思いません。
人口が増え続けたほうがよいのでしょうか、若しくは人口が現状維持されたほうがよいのでしょうか?
そもそも、日本の適正人口は何人なのかの議論が欠けています。国土面積や食料・資源の自給率から考えると7000万人が適正との説がありますが、だとしたら減少もOKなのです(ただ、そのペースの問題は残りますが)。「人口が多いほど国力がある」というのは、ある一面から見た場合は確かだと思いますが、北欧のように人口が少なくても幸福感を抱く国民が多い国があることも事実なんですよね。

このように、本来どうあるべきかという議論がないまま、とりあえず対策を施すという事例が非常に多い世の中ですね。

保育料、給食費の未納問題

  • 2007年03月22日(木) 00時02分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

給食費の未納が全国的な問題となっていると思ったら、今度は保育料の未納が発覚しました。払う能力があるのに払わないという現状を耳にするたびに、ひどい世の中になったもんだと感じざるを得ません。
しかし、こういったことは何の前触れもなく突然起こったのでしょうか? 私は違うと思います。

私は現在40歳ですが、幼かった頃を思い出してみましょう。
家族で遊園地や動物園に出かけた時、例えば「4歳未満は無料」だったとします。その時に親が4歳の子供に対して「○○チャンは今日は3歳のことにしてね」と話し、料金所で「この子は3歳です」と言う場面を見かけた記憶があります。また、スーパーなどで、間違って釣銭が多く戻ってきた時「ラッキー」と言ってそのまま帰ってしまう大人を見た記憶もあります。
この時、子供は何を学ぶのでしょうか。「得するならルールを破ってもいいんだ」ということを学習するかもしれません。また「お金のためなら嘘をついてもいいんだ」ということを学ぶかもしれません。
もし、未納問題を起こしている親が、子供の頃にこういった学習をしていたとしたら、その責任は前の世代にもあるということにはならないでしょうか。勿論、私の子供の頃には給食費未納などの問題はなかったと思いますので、当時の親世代は今ほどひどくなかったのは事実でしょう。しかし、上記のような少しのほころび(これ位はいいんだ)が世代を経て大きくなっているのは、この問題以外にもあるのだろうと感じています。

見ちゃいられません

  • 2007年01月17日(水) 23時16分
  • 分類:日記
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最近は忙しくて、ニュース番組もゆっくり見ることもできない状態でしたが、本日は某番組のトップニュースから見ました。
でも、すぐに消したくなりました。殺人事件や不祥事といったニュースの連続で、気が滅入ってしまいます。事実はしっかりと受け止めなくてはなりませんが、こうも連続するとさすがに…。
世の中には、心が温かくなったりホッとするような出来事も起こっています。マイナスイメージのニュースを流したら、同じ時間だけプラスイメージのニュースを流すっていうルールを作ったりしたら面白いと思います。「今日、上越新幹線内で○○さんがお婆ちゃんに席を譲りました」「譲った○○さんのコメントです」「恥ずかしいな~ とか、逆に怒られるかな~ と考えて躊躇しましたが、思い切って譲ってみたら喜んでもらえて気持ちよかったです(笑)」なんていうニュースも流れてほしいですね。世の人々の心理状態も結構変わるような気がするんです。

一番大切なものは お金?

  • 2006年12月11日(月) 00時00分
  • 分類:日記
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 日本は世界で2番目の経済大国ですが、幸福感を持つ人の割合は世界で29番目です。

 人はみな幸福になりたいものです。経済的な豊かさが幸福感につながる時代があったのは事実でしょうが、今の日本に合った考え方ではないと感じます。お金や経済は大切ですが、1番大切なのではなく3番目や4番目に順位を下げたいものです。

 では1番大切なものは何か? 命でしょうか? だとしたら、1番大切なものを必ず失う人生は辛く・怖いものになってしまいます。

 私? 私の一番大切なものは…、正確に言うと大切にしたいものは、生き様です。

 皆さんは如何ですか?

寒い季節に なんですが

  • 2006年12月10日(日) 00時00分
  • 分類:日記
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 報告しようと思って忘れていました。我が家の緑のカーテンの話。

 先日、ネットを片付けました。ヘチマの緑はまだ力強かったんですが、もう雪が降るので逝って頂きました。

 緑のカーテンの効果 知りたいですか?

 効果有りです。

 ほとんど冷房をかけないエコ生活をしていますので、例年では、どうしても寝付けない熱帯夜が2~3日はあります(普通の熱帯夜なら大丈夫なんですが)。ところが今年はゼロ! エコ生活仲間に聞いてみますと「寝苦しさは、いつもの年と変わりなかった」という人が多かったのです。

 来年は更に工夫してやってみたいと思っていますが、選挙直後が種まきの時期なので、どうなることやら

文部科学大臣からのお願い

  • 2006年11月22日(水) 16時56分
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いじめ・自殺関連で文部科学大臣がお願いを発表しました(文科省のHPに載っています)。
その中で、いじめられている子供に対して「君は一人ぼっちじゃない。周りの人にいじめられていることを話そう。きっとみんなが助けてくれる」といった内容で語りかけています。でも、このメッセージに力は感じません。

夜回り先生のような発言になってしまいますが、「苦しいなら、俺に知らせてくれ。助けてあげられるように全力で努力するから」と腹を据えて語りかける必要があると思います。
一人一人が、それぞれの立場で本気になって生きていけば、きっと世の中が変わります。

ちょっとビックリ

  • 2006年09月13日(水) 16時57分
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先日、原付の調子が悪くなったので馴染みの店で点検してもらいました。
待ち時間に何気なく原付のカタログを見てビックリ。燃費がリッターあたり75kmなんてものがあるんです。自動車と一緒で、カタログ値と実燃費は違うのでしょうが、今乗っている原付が壊れたら買ってしまいそうです。

公共広告機構

  • 2006年09月05日(火) 16時58分
  • 分類:日記
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 少し前のCMで、確か自殺に関するものだったと記憶していますが、「命が大切だと言わないで下さい…。あなたが大切なんだと言ってください」というものがありました。この言葉には感銘を受けました。

 ところで、CMの問題として指摘されているのは、例えば環境問題では環境破壊につながるCM(大量消費を煽ったり、ジャンクフード(スナック菓子やファーストフードなど)の宣伝)のほうが、環境意識を高めるCMの100倍以上(ちょっと記憶があいまいです)多く放送されているということです。命の問題も同じ構図があるように感じます。

 命と言えば、先日のテレビで発展途上国の恵まれない子供(ストリートチルドレン等)の親代わりをしている沖縄の方を特集しており、その方の言葉が印象に残っています。「真剣に生きていなければ命の大切さは分からない」

 自殺・他殺は別にして、命が軽く扱われることが目に付く現在。真剣に生きる人が減ったことの現われなのかもしれません

田中知事

  • 2006年08月07日(月) 00時00分
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 田中知事 落選。

 残念なニュースです。田中知事の政策には私との共通点が多く、期待していた政治家でした。ただ、人柄や体質に若干の違和感を覚えていたのも事実でして、その辺も選挙に影響したのかもしれません。

金儲け

  • 2006年06月07日(水) 00時00分
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 「金をもうけて何が悪い」と会見で発言した村上ファンドの村上氏。思い返せば、ホリエモンも同じ趣旨の発言をしていましたね。

 昨日、テレビのコメンテーターが「金儲けが悪いのではなくて、国民はその手法に違和感を覚えている」(村上氏も自らが国民に支持されていないと話していますが)と発言していました。それもそうかもしれないけど、私は金儲けする理由(動機)に違和感を覚えます。村上氏もホリエモンも「日本を変える」と話していましたが、その根底には足ることを知らぬ欲望(金銭欲・名誉欲)の追求が見え隠れしていました。

 松下幸之助氏は政経塾や寄付を通して社会貢献していましたし、欧米のお金持ちは社会貢献が常識になっているとのことです。また、日本の企業にも社会貢献が求められる時代になってきました。自らのため+アルファが必要な世の中になってきたのだと思います。

子供が2歳になりました

  • 2006年05月26日(金) 00時00分
  • 分類:日記
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 言葉を話し始めるし、意思表示もうまくなってきたし、コミュニケーションも少しづつとれるようになってきました。走る(早歩き?)のも早くなってきて、「2年間でこれだけ身に付けるものなんだ」と感心してしまいます。

 たくさんの方から「お古」を頂いたので(服・布オムツ・絵本等)、これまでに子供に使ったお金はほんのわずかです。

 さて、自分も親となったことで、他の親子を観察する眼も鋭くなってきました。

 ここ数年気になるのは、親が自分の子を自分の所有物と勘違いしているんじゃないかという人を時々見かけることです。極端な言い方をすれば、自分のアクセサリーと勘違いしているような状況にも見えることがあります。

 子とはいえ、ひとつの魂で別人格です。子は、この世ではまだ未熟なので、親として教えなければならないこと(この世のルール)はありますが、それは、たまたま先に生まれてきたからであって、人として親が優れていて、子が劣っているというわけではありません。命の尊さ・素晴らしさにおいては全く等しいと思うのです。

 そんなことも考えながら、ひとつの生命と、まだ汚れていない心に接した貴重な2年間でした。

生きる力(エネルギー)はどこからくるのか

  • 2006年03月29日(水) 00時00分
  • 分類:日記
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 身体の生きる力は、食物から栄養を取ることです。

 精神の生きる力は「自分は価値があるのだ」と感じることだと思います。

 ただ、自分の価値を感じるためには二つの方法があります。一つは、他者との比較・競争において優位または劣位でない(「世間並み」はこの範疇に含まれる)ことによって感じることができるが(相対的価値)、そのためには常に他者に注意し、観察しなくてはならず、更に他者からの評価も気にかけなくてはなりません。この方法では、安らぎや足るを知る心境にはなりにくいと思います。

 もう一つの方法は、他者との比較競争ではなく、己自身の中にかけがえのない素晴らしさを感じることです(絶対的価値)。この方法では、人に優しくしたいとか物事を達成するために他者を観察することはあるが、他者の評価を過剰に意識する必要はなく、安定した気持ちを持続しやすいのです。最近の教育界では自己肯定感と言っていますね。

 自殺者や凶悪犯罪の増加、子供の変調、戦争、社会不安の増大をはじめ、現代社会の諸々の問題の根本原因は、多くの人が相対的価値によって自らの生きる力を得ようとしていることにあると感じています。

 現代人は、幼い頃から他者との比較競争の中で育てられています。幼いが故に絶対的価値を知らないので、親から認められ愛されることによって「自分は価値があるんだ。生きていいんだ。生きるって楽しい」と感じ取ろうとするのです。子供は、生きる力(愛情)を与えてもらうので、親が大好きです(親が全てかもしれません)。親からの虐待を受けている子で「親は悪くない」とか「虐待を受けていない」と言う子が多いのはそのためです。

 その親が、成績がよかったら誉め・愛し、成績が悪かったら「もっと頑張れ」と言い・怒ったとしたらどうなるでしょう。子供は、親から認められ愛されないと生きる力を失うので、親の基準(人よりもとか、人並みにといったハードル)を何とかクリアしようと精一杯頑張ります。しかし、他者との比較においては、自分が努力しても望み通りの結果がでないことは多々あり、そのたびに親からの疎外感にさいなまれ、徐々に生きる力を失っていき、ひどい場合には精神に異常をきたしてゆきます(その異常なエネルギーが外に向けば殺人などの犯罪につながり、内に向けば引きこもりや自殺につながります)。成績に限らず、「○○チャンはもう箸を使える」とか「みんなは自転車に乗っている」といった基準で子供を評価することも同じでしょう。

 このように、まさにモノゴコロのついたときから比較と競争の世界に放り込まれ、自分への評価を過剰に気にし、自らの生きる力・生きる価値・生きがいを相対的価値によって感じ取ろうとする人生がスタートします。

(礼儀作法や道徳を教えなくて良いと言ってるのではなく、そのベースに愛情が必要なのだと思っています。例えば、口やかましかった学校の先生で、卒業後にまた会いたくなる先生と、もう二度と会いたくない先生がいますよね。その違いは何かというと、前者は生徒に対する愛情から叱り、後者は自分の都合や正しさから怒ったのだと思います。)

 もし、親が子の存在そのものを認め・愛したとしたらどうでしょう。

 五体不満足の著者である乙武さんが生まれたとき、お母さんが「なんてかわいい子でしょう」と言ったそうです。「なんで我が子に手足がないのだ」とか「かわいそう」といった言葉ではなかったのです。つまり手足があるのが普通という基準で子を判断したのではなく、存在そのものを愛したのです。存在そのものを愛され・認められた子は、人と比べてではなく、自分自身そのものの素晴らしさを体感して、自分を愛し・信じ・認めるようになります。そして、自分を愛し・信じ・認めることができた時に、他人を愛し・信じ・認めることができるようになるのです。自分のことさえ愛せないのに他人を愛せる、自分のことさえ信じれないのに他人を信じられる、ということは非常に難しいものだと思います。

 世界の先住民族には様々な大人になる儀式が存在します(先住民族は物質的に遅れた人たちなのではなく、精神的に進んだ人たちだと思います)。断食だったり、孤独な山ごもりだったり、バンジージャンプであったり・・・・。私が感ずるに、これらの儀式を通して自分を見つめたり、達成感(=自信)を得たりしている気がします。つまり、先住民族における”大人”の定義は、「自分で自分の絶対的な素晴らしさを感じていること」なのだと思います。そして、自分で自分の素晴らしさを知っている人は不動心(「我がまま」ではなく「我が・まま」)を得て、いろんなことに左右されなくなります。いろんなことに左右されないから、物事を有りのままに見つめて最善の選択ができます。最善の選択ができるから、周りの人たちにも認められ、いわゆる長老となっていきます。

 翻ってみて、今の日本には本当の意味での大人がどれほどいるでしょうか。体は大人でも、精神的には子供(他人の評価を生きるエネルギーにしている人)が多いといわれています。今の日本の惨状は、本当の大人が減少したことによると思うのです。でも、本当の大人になるのは簡単です。以前にも書いたように、比較と競走の社会に埋もれて自分の外ばかりを見るのではなく、一度立ち止まって自分自身を見つめる(自分の感情・思い癖・正しさ・生い立ちなどを見つめる)ことによって、自身の絶対的な素晴らしさに気付くことができるのです。

聾学校卒業式

  • 2006年03月09日(木) 00時00分
  • 分類:日記
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 今日、県立長岡聾学校高等部・専攻科の卒業式に招かれ、出席してきました。

 卒業生代表の挨拶は「健常者と障害者の壁がなくなり、対等に付き合える世の中を目指して努力していきます」という旨の言葉で締め括られました。「ああ、この子らも苦労しているんだな」と感じるとともに、この年でこのような決意をしなければならない世の中に政治家として存在している自分自身の責任も強く感じました。

謹賀新年

  • 2006年01月03日(火) 00時00分
  • 分類:日記
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 昨年の事件・事故を見ていると、いよいよ20世紀型社会が終焉するのだと感じます。

 他者との比較によって自らの相対的価値を認識することに重きを置いたり(故に競走が激化するのですが)、お金が一番大切というのが20世紀型社会の価値観だと思います。それに対し、自身の絶対的価値を認識したり、お金は大切だけど一番ではない(一番は自分らしさや愛情や義理人情など)というのが21世紀型価値観です。日本人の3割を占めると言われているLOHAS(ロハス)層も新しい価値観の現れだと思います。

 しばらくの間は20世紀型と21世紀型の価値観がせめぎ合うと思いますが、変革への流れは止めることができないでしょう。この流れを加速させるべく努力しますので、本年もご指導の程宜しくお願い致します。

LOHAS = Lifestyles of Health and Sustainability の頭文字をとった略語で、健康を重視し、持続可能な社会生活を心がける生活スタイルである「LOHAS」ローハス(ロハス)が米国で注目されている。今までのような生産と消費を続けては環境破壊が進み、持続性のある経済も維持できないと企業や国が少し気が付いています。一般の人々も「このまま行くと何か変だな!続くのかな?」と感じてきています。明確なロードマップがなく、立ち止まっている。かといって『昔の暮らし』や『貧乏な感じ』、『攻撃的な環境運動』もイヤだなと思っていて、一番オシャレな自分らしい生き方を考えるとLOHAS的な生き方になってしまう。そんな人達が拡大しているというのが、ちょうど今なのです。(NPOロハスクラブのHPより)

夜回り先生

  • 2005年11月10日(木) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 長岡東中学校創立70周年記念講演で、夜回り先生として有名な水谷先生がお話されました。

 現在、ヤンキー先生など何人かの有名な先生方がおられますが、私は以前から「水谷先生は本物だ」と思っています。水谷先生は自己肯定感が強く、生きる力のメカニズムを理解され、その言動は深い愛情から発していると感じていたのです(他の先生方がニセモノという訳ではありせんが)。

 講演をお聞きして、何度か涙ぐんでしまいました。生徒達も泣いたり、メモしたりと皆真剣に聞き入っていました。
心に残ったメッセージのいくつかを紹介します。

・お母さんは、子から「お母さんの子でよかった」と言われるような母親になってください。

・今までに、手の指を潰された事や腹を刺されたことがある。でも、闇の世界の人たちは怖くてやっているんです。彼らは臆病なのです。彼らが一番恐れるのは、真っ直ぐに正しく生きることです。どうか皆さんも真っ直ぐに生きてください。

・(生徒達に質問して)「叱られたことと誉められたこととどちらが多いですか?(ほとんどの生徒が叱られたことのほうが多い)」 (母親に対して質問して)「夫から叱られたことと誉められたこととどちらが多いですか?(ほとんどの母親が叱られたことのほうが多い)」 私は生徒を一度も叱ったことはありません。夫は職場でけなされ・叱られ、そのはけ口を妻に求める、妻はそのはけ口を子に求める。でも子供にははけ口はありません。子供の異常さは大人に原因があるのです。

 これほど聴衆の心を揺さぶる講演ができる人は日本でも数少ないのではないかと思います。こんな先生や大人が増えるといいなと感じました。おっと、増えればいいなんて他力本願ではなくて、自分自身を先ず磨かなくては。

久しぶりの原付

  • 2005年10月11日(火) 00時00分
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 少し前に車庫の整理を行なった際、母が乗っていた原付(なんとなく懐かしい響き)が奥にしまってあったので出してみました。脳梗塞の母は医者から回復の見込み無しと言われているので処分しようかと思いましたが、私が乗ることにしました。

 原付に乗るのは大学生以来なので約20年ぶりなのですが、乗ってみると結構気持ちいいもんです。

 乗ってみて気付いたのは、道路にほとんど原付が走っていない事。思い起こせば、20年前は主婦や学生のライダーが道路にあふれていたように感じます。調べてみると、原付の販売台数は激減しており、代わりに軽自動車をはじめとした乗用車が激増しています。やはり日本経済は成長していて、多くの人が原付から乗用車へ乗り換えたのですね。

 経済成長といえば、先日外務省主催の「ブータンと国民総幸福量(GNH)に関する東京シンポジウム」に参加してきました。 GDPを幸福の指標としてきた先進国に問題を投げかけてくれており、国連も注目しているようです。私の訴えている「住民満足度の高いまち」に共通するものがありました。

 さて、私にとっての原付の長所は、渋滞を避けられることと燃費のよさ。燃費を計ったら、ガソリン1リッターあたり 25~30kmです。現在乗っている車(2001年型シビック)も燃費がよく、リッターあたり15~18kmですが(エコドライブです)原付にはかないません。(ちなみに、去年まで乗っていたサニーはリッターあたり11~14km)

 私の日常の交通手段はこれまで自転車か自動車しかなかったのですが、これに原付が加わったことになります。移動距離・天気・荷物などの条件に応じて、3つの移動手段から選択しています。

発展途上国

  • 2005年09月15日(木) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 アメリカが超大型ハリケーンによる被害を受けました。テレビキャスターやコメンテーターが現地からの映像を見て「先進国とは思えない。まるで発展途上国のようですね」とコメントするのを何度か聞いた。

 現地の惨状を見て何とかしなければという想いを表現したものだということは伝わるのだが、コメントした人の前後の話から「先進国なのに発展途上国みたいになってしまって大変(発展途上国が悲惨な状況であるのは仕方ないけど、先進国が発展途上国のようになると大変)」といった認識を感じました。日常的に悲惨な状況が続く発展途上国にももっと思いをはせなくてはならないと思います。

コメントした方の認識は推測であり(ギャップの大きさを表現したとも取れますし)、テレビを見た私の印象です。

政治家の説明責任と有権者の理解責任

  • 2005年09月10日(土) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 今回の選挙に際し、郵政民営化法案に反対した議員が「民営化には賛成だが、今回の法案は内容に問題があったので反対」とテレビ番組で発言する姿を良く見た。それに対して、みのもんた氏他数名のキャスターやコメンテーターが「そんなことではダメだ、良いのか悪いのか非常に分かりにくい」と様々な番組で発言していました。

 みの氏等の率直な感想なのでしょうから、それはそれで問題ないと思います。しかし、「民営化には賛成だが、今回は内容が悪いので反対」の意味が分かりにくいという感性に問題があるような気がします。私の感覚では十分に意味の通じる話だと思うのです(分かりにくいと言う人の気持ちも理解できますが)。例えが適切かどうか不安ですが、こんなことではないでしょうか、「ご飯は食いたいけど、この飯には毒が入っているので食べない(ちゃんとしたご飯が食べたい)」と言う人に、「食べたいのか、食べたくないのかどっちなんだ」と言う事。

 確かに、最近では議員や行政の説明責任が問われており、相手に理解してもらえるように話すことも絶対に必要なのです(私も、できる限り気を使って話します)が、有権者にも理解しようとする姿勢がなければ十分なコミュニケーションは取れません。

 今回の件で言えば、民営化賛成だが法案反対の方たちが、正しいと考える民営化の対案を出さなかったことも問題を複雑にしていると思います。

 「有権者は、よく見て、よく考えて投票を」と訴えているキャスターやコメンテーターもいらっしゃいまして、私はこちらのほうに共感を覚えます。

 政治不信を招いたのは、これまでの政治家(私も含め)の責任と思いますが、そういった人たちを選んできた有権者の責任も考えなくてはならないと思います。

 総括しますと、政治家も有権者も相手の責任に強く焦点を当てるのではなく、自らの責任を全うすることに強く焦点を当て、自らの立場で出来ることを一生懸命やっていくことが政治の質を高めることにつながると思います。

フェニックスに感動

  • 2005年08月17日(水) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 長岡祭りのフェニックス、凄かったですね。

 私は自宅が花火観覧席の近くなもので、長岡花火を見続けています。UFO、尺玉80連発、ワイドスターマインが登場した時も大きな驚きを覚えましたが、今回のフェニックスはそれをしのぐものがありました。鳥肌が立ったのです。

 大きな反響があったとの新聞報道のなかで「足の悪い母におぶってでも見せたいのだが、今日も昨日と同じ時間に打ち上げるのか? との涙ながらの問い合わせもあった」という記事を見かけました。実は私も同じ気持ちになっていたのです。母も車椅子生活になってからは土手の観覧席で見ることができずにいました(自宅の窓越しに見ていました)。私は1日目に県外からのお客さんを連れて観覧席で見て感動し、どうしても母に窓枠なしに見て欲しかったのです(窓越しではフェニックス全体が見れませんから)。かといって車椅子のまま、又は背負って土手に上っても、あの人混みの中では危険なので、隣家の屋上に上げてもらって見せて頂きました(上り下りは大変でしたが)。その日もお客さんがあったのですが、そっちは嫁さんに任せて私は母の世話。おかげで母も感動したようです。

 さて、フェニックスには二日間で3000万円の費用が必要です。通常の長岡花火は二日間で8000万円とのことなので、その壮大さが金額からも分かります。今年のフェニックスは全国からの寄付で何とか打ち上げることができましたが、来年は長岡市民の寄付(心意気)で打ち上げることができたら素晴らしいですね。

 大雑把に計算すると、来年の2次合併後の新長岡市の人口が約30万人ですから、1人100円で可能、1/10の3万人が1,000円負担でも可能となります(長岡に編入される旧市町村の住民が長岡花火にどれ程の思い入れがあるかは不明ですが)。

アマゾン先住民族の予言

  • 2005年07月04日(月) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 少し前になりますが、米百俵賞の授賞式に参加してきました。今年の受賞者は「南 研子さん」で、彼女はアマゾンの森や先住民を守る活動を続けています。

 私自身もアマゾンへ行ったことがありますし、世界の先住民族から学ぶことは多いと感じていますので、南さんの講演を楽しみにしていました(アマゾンの森や先住民の状況は悲惨ですが)。

 南さんの講演で、以下の3つの話が印象に残りました。

3人の子供たちと森を歩いていた時、隠しておいたキャラメルが見つかった(文明社会のものをひけらかしてはいけないのです)。1個しかなかったので1人の子供に与えたら、その子は歯でキャラメルを3つに割って皆で分けて食べた。日本では、「自分がもらったんだ」と言って一人で全部食べてしまうのではないかとのことです。

先住民族にも会議がある。しかし、この会議は徹底的に相手の話や反対意見を聞いて結論をだすので、最終的に多数決になっても問題は起きない。

長老に「日本では幼児虐待がある」と伝えると、「そんな有りえないことを言うな(そんなウソを言うな)」と言われた。続けて、「だが、もしそれが本当だとすれば、お前の部族は滅びる」と言われた。

暴言3のパート2

  • 2005年05月24日(火) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 池田小学校事件について述べた暴言Ⅲの続きです。

 奈良県で小学生を誘拐・殺害した小林薫被告にも切ない過去があったことが分かりました。その他の凶悪事件の犯人も、両親との問題やいじめられた過去があると報道されることがあります。

 夜回り先生として有名な水谷先生も「人間性が破壊される人には辛く苦しい過去がある」旨の発言をしておられます。

 最近、被害者や遺族の立場を考慮すべきと言われていまして、それは当然のことだと思いますが、同時に加害者を生み出してしまったことにも意識を向ける必要があります。

運動会

  • 2005年05月22日(日) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 議員になると、地元小学校の運動会に招いて頂けるので行ってきました。

 毎年楽しく見ているのですが、今年は一つ気付いた事があります。

 50m や80m競走などで、走ってい途中にキョロキョロと他の選手(児童)の位置を見たり確認する児童が目につきました。1レース6人で走っていましたが、1レースか2レースに一人くらいづつそういった児童がいたと思います。(誤解のないように申し上げますが、そういった児童も一生懸命走っており、決して手抜きをしていたわけではありません)

 私が小学生だった時はとにかく全力で走っていたので、周囲の状況を見るといった行為は行なっていなかったような気がします(良い結果を出したいという欲が強かったのかもしれません)。自分がそうだったというだけで、当時も周囲を見回す児童がいたのかもしれませんが、そのような光景を見て私が違和感を覚えたということは、当時にはなかった現象のような気がします。

 このキョロキョロ現象が最近のものと仮定しますと、一つの理由が思い浮かびます。

 それは、常に他者が気になっているのではないかという事。つまり、他者との比較で、自分がどの位の位置にいるのかという事が過剰に気になっているのではないかと思われます。

 不動心とは、他に左右されない心ですが(他はどうでもいいとか、自分さえ良ければいいというものではなく)、その逆になると他が気になって仕方がないということになります。他を気にし過ぎると、落ち着きがなくなり、不安定になり、ストレスがたまります。他は自分でコントロールできないからです。

 現代の子供は大変なストレスを感じているという調査結果も出ていますが、キョロキョロ現象もその現れの一つかもしれません。