昨年9・11のテロ直後に書いた暴言に続く第2弾です。
テロ以降、怒りが怒りを呼び、更に新たな怒りが発生する。疑念が疑念を呼び、更に新たな疑念が発生する、という状況になっていますね。
昨年の暴言を書いた時には、私のような考えがマスメディアから流れてくる事はありませんでしたが、時間の経過と共に、この考えを持つ人が取り上げられるようになってきました。さて、今回はどうか? 我ながら、前回以上の暴言であろうと思われます。
前回のアルカイダ同様、北朝鮮の行った事は許されない事でありますし、長年にわたる被害者及びその家族の精神的苦痛を思うと、私の心も痛んでいるという前提でのコメントです。
先日、某ニュース番組で、現在帰国中の拉致被害者の方々を北朝鮮に帰すべきかどうかのアンケート調査の結果を放送していました。それによると、「帰すべきでない」が80%、「帰すべき」が10%で、圧倒的多数の人たちが現在の状態を良しと判断しているようです。
ところが私はチョット違って(だから暴言なのですが)、次の二つの理由から帰すべきと考えます。①二組の夫婦は、北朝鮮に残した子供には「10日間くらい旅行に出る」旨の説明しかしていないと聞いています。ですから、子供が気になるといった発言もされていますよね。親心を考えると、本当は気になって仕方がないのではないかと推察されます。また、残された子供がしっかりした説明を受けていないのであれば、安否を気遣い不安な日々を過ごしているに違いありません。だとすれば、日本人拉致被害者とその家族が味わったものと同じ悲しみを子供に与えている日本は、北朝鮮を批判する資格があるのだろうか? ②拉致した事は罪深いし、また北朝鮮が日本との国交正常化の必要に迫られているとはいえ、24年間事実無根と言ってきた拉致と被害者の帰国を認めたことは評価してあげなくてはならないと思います。北朝鮮がやっとここまで軟化してきたのに(渋々の筈です)、日本が10月28日に帰すという約束を守らない事によって、再び北朝鮮が硬化する恐れがあると考えます。その場合、死亡したと伝えられた方々の調査にも影響が出てくるものと考えます。(カチンと来た方、ゴメンなさい)
更に暴言度をアップさせましょう。
そもそも何故、解決に24年もかかったのでしょうか。それは、日本が「北朝鮮は許さない、悪だ」と言い続けてきたからなのではないかと思います。(この辺で我慢の限界を感じた方、ゴメンなさい) 子供の頃に経験した人も多いと思いますが、何かの失敗をして、親や教師から「やったのはお前か」と問われても「ハイ」と答えたら怒られるのが明らかな場合、「私じゃない」と言ってしまう心理状態がありますよね。もし、北朝鮮に対して「拉致は悪い事であるが、罪を憎んで人(国)を憎まずだ。どんな事実であろうとも責任を追及しないので、正直に全てを明らかにして欲しい」というスタンスで臨んでいたら、拉致問題はもっと早く解決していたかもしれません。
もし、北朝鮮が一部で言われているように「ならずもの国家」であるなら、例えたら、わがままな子供みたいなものかもしれません。もし日本が大人の国家であるなら、子供をコントロールし、教育する役割があるのではないかと考えます。その場合、怒るのではなくて、叱る事が必要なのではないでしょうか。「怒る」は感情任せの行為ですが、「叱る」は愛情や許しが入った行為です。
許すって事は個人でも国家でも大変な事ですね。でも、許した方がうまくいったり、楽になることも多いのではないでしょうか。
この問題を語り尽くすには、「大人とは・子供とは」「善・悪とは」「怒りとは」などを議論しなくてはなりませんが、今回はご容赦の程を。
外交は拉致問題だけではないし、私自身が断片的な情報しか持ちえていない中でのコメントであることをご了承ください。