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国政の機能不全

私は衆議院議員の秘書時代に、永田町(国会)と霞が関(官僚)の実態を見て、「ここから国が良くなることはない」と感じ、「小さな組織(地方)のほうが風穴を開けやすい」と思い、地方議員に立候補しました。実力・能力的にも国会議員になんてなれませんし、なりたいとも思いませんでしたし(笑)、これまでの政治家とは異なる私の考えに賛同していただける方は、どんなに頑張っても最初から多数ではないだろう(12年前の状況ですが)と覚悟していたことも理由です。

そして、国政がいよいよ行き詰ってきました。どの党が政権を取っても、誰が総理になっても好転しない状況のようにも見えます。
今後はおそらく、橋下大阪知事や東国原元宮崎県知事、そして「みんなの党」などの第3極に国民の期待が集まるのではないかと思いますが、これらの方々や政党にも新しい時代の価値観は感じられないので、関たか通信12号で述べたように、しばらくは国政の迷走が続くことを覚悟しなくてはならないと思います。
しかし、国政が迷走しても我々一人ひとりの生活は続けていかなくてはなりませんので、地方政治の重要性はさらに高まってくるでしょう。地方政治も迷走は避けられないでしょうが、ここはひとつ踏ん張って、地方の中から次の時代にふさわしい「まちづくり」やライフスタイルや政治形態を生み出していきましょう。

母が他界しました

先月、母が他界しました。
「休むのが苦痛」と言うほどの働き者でした。
母は9年前に脳梗塞で倒れ、半身不随と失語症を抱えて不自由な暮らしを送ってきました。しかし、切望していた孫を7人も授かり、また、これまでは家族のために一生懸命頑張ってきた母が、最後の9年は皆から世話してもらえた(家族からすれば世話させてもらえた)ことなど、これまでの人生の総決算ができた9年だったような気がします。
「もっと○○してあげればよかった」といった後悔や悲しみは湧いてきますが、同時に感謝の気持ちも強いので、これからも精一杯生きていこうと思います。

心の仕分け

最近、事業仕分けに注目が集まっていますが、今日は「心の仕分け」について考えてみました。
私は自分自身と向き合う(自身を見つめる)ことが趣味でして、年々少しずつ深まってきている状況です(だからといって、誰かと比べて優れているということではなく、以前の自分より内面が充実してきているということです)。これまでの過程で、2度の大きな仕分けがあった(正確に言うと仕分けの重要性やポイントの発見です)ので、自分の体験を基にして述べてみます。
*以下の記述では、私の体験上、感情=怒り・焦り・不安・恐怖など(いわゆるマイナスの感情)となっています。

1度目は8年ほど前に気付いた「判断と感情」の仕分けで、日記欄「レジにて」(2002年)で簡単に述べています。
2度目は昨年に気付いた「感知と判断」の仕分けです。まだ十分に実践できていませんが、「判断と感情」の分離がある程度までできるようになった時、これ以上(完璧に)分離できないという壁にぶち当たりました。感情の度合いを低減させる(抑え込むのではありません)ことはできても、それ自体をなくすことができない為に、自分の目指す人格や人間性にこれ以上近づけないという状態になったのです。その時浮かんできた答えが「感知と判断」の分離で、自分の目や耳で捉えた物事を自分の価値観で判断するのではなく、ただ感知(認識)するというものです。例えば、夜に読書している時に外で誰かが騒いでいたとしましょう。心の中では、「騒がしいな」→「俺が本を読んでいるのに邪魔だし、非常識な騒ぎ方だ」→「(イライラして)何があって誰が騒いでいるんだ、怒鳴りつけてやろうか」となります。騒ぎがすぐに収まってくれればいいのですが、長引くと更に心が乱れていきます。これを、「騒がしいな」という認識で止め、その先に発展させない(多くの場合、発展させる必要もない)というものです。これは、今の自分にはとてつもなく大きな課題です。44年間、物事を感知した瞬間に自分の価値観(自分本位)で判断することを自動反応として続けてきましたので・・・・。しかし、「判断と感情」の仕分けに気付いたときも同じように大きな課題だと思っていましたが、数年かけて前進させることができたので、今回も気長に取り組んでみようと思います。

何となく悲愴感の漂う内容になってしまいました(笑)。
でも、こうやって自分を見つめることで新たな発見があり、精神的に少しづつ楽になっていくのでやめられないのです。21世紀は心の時代と言われていますが、心の仕分けにスポットが当る時がやってくると思っています。

また、少し違った側面になりますが、いわゆる「似て非なるもの」の仕分けも有益だと思います。例えば、感情的・情熱的、怒る・叱る、競争・競う、執着・愛着、非難・批判、頑張る・精一杯、正義感・正義、受け入れる・受け止める、言う通りにする・言うことを聞く等など。これらは、根底に愛があるかどうかが違いになっているものが多いと思いますが、自身の言動がどちらに軸足を置いているのか(混在している場合も多いので)を認識することはとても大切だと思います。

ついに ペレットストーブを

先週、ついにペレットストーブを購入してしまいました。
我が家の暖房装置は石油ファンヒーターだったのですが、地球環境や健康を考えると、非常に後ろめたい気持ちで使っていました。以前にも購入を検討し色々と調査したのですが、設置費含めて約50万円という価格がネックになり断念したことがあります。環境のためなら少々高くても支払う意思はあるのですが、いかんせんこの価格はパッと払える金額ではありません。
しかし、昨年の秋に暖房効率が高いと評判の「さいかい産業(新潟の会社です)」さんが従来の半額のペレットストーブを販売したので(大量生産に踏み切ったと聞いています)、今回思い切って購入しました。

一週間ほど使用しましたが、遠赤外線による輻射熱の効果でしょうか、とても暖かく、かつ心地の良い暖かさで、足も寒さを感じません。以前は暖房の効いた部屋を出るとブルッと寒さを感じていましたが、体が芯から温まっているからか、部屋を出てもあまり寒さを感じません。

環境に良く、心地も良いペレットストーブが普及し、価格が下がり、更に普及することを強く願っています。
ということで、興味のある方は気軽にお越しになって体感してみて下さい。

女子中学生の質問

近所の女子中学生が時々我が家に遊びに来てくれます(親御さんが言うには、我が家の5歳と1歳の子供を気に入ってくれているとのこと)。

少し前に遊びに来てくれた時、彼女が「○○○で(ある事情で)面接を受けるんですけど、自分の将来についてどんなことを言えばいいんでしょうね?」と質問してきました。すかさず、私の嫁さんが「『○○になりたい』って、職業や肩書きを言うのが普通だけど、『こんな風に生きたい』って、生き方や人格形成の夢を言うってのもいいと思うんだよね~」と答えていました。
私的にはドンピシャの答えですが、そんなことを即座に言った嫁さんにも少々ビックリしました。

世の中、ますます混迷の度が深まっていますが、こんな時こそ原点に帰って、自分の生き方や人生を考えたいものだと思います。

衆院選

民主党の圧勝となった今回の衆院選。
私は以前から、今の時代は「大変動期・激動の時代」と述べてきました。今回の衆院選で激動に終止符が打たれたのではなく、いよいよ激動が始まったのだと思います。ここ数年でも様々な変化がありましたが、それは激動が始まる前のエネルギーの蓄積であったと思うのです。

オバマ大統領や民主党政権の誕生は、時代の変化の必要性が表れたものでしょう。しかし、現状打破という使命は達成できるかもしれませんが、私が述べてきたような新しい価値観・哲学・思想から導き出された「目指すべき社会・ビジョン」の実現に向かって歩み始めるのはまだ難しい状況ではないかと思います。振り子が右に振れたり左に振れたりしながら安定していくように、暫くは変化の激しい時間を過ごさなくてはならないと思います。

私は衆院議員の秘書時代に「この国が永田町(国会議員)と霞ヶ関(官僚)から変わっていく可能性は低い」と感じ、地方自治体から風穴を開けなくてはと考えてきました。国政に全く期待しないわけではありませんが、自分の持ち場・与えられたポジションで地道に努力を重ねていこうと思います。

民主党政権がどのような結果を出すのか分かりませんが、多くの有権者が「政治は我々の手に委ねられている」という主権在民を実感できたであろうことは、今後の社会づくりにプラスになったと思います。

100年に一度?

持続不可能な社会の崩壊が進んでいます。
皆さん、どのような心境で日々暮しておられますか?
このような状況でも、焦らず・慌てず・不安にならず、腰を落着けて暮している方々もおられるようで、そういった方々がこれからの時代を切り開いていくのではないでしょうか。

各国の財政出動によって崩壊スピードは減速しているかもしれませんが、今度は国家破綻の危険へと追い込まれていくこととなるでしょうから、事態が若干先送りされただけで、より深刻で大規模なものへと移行していくかもしれません。
この状況は「百年に一度」と評されていますが、そんなものではないと感じます。「百年に一度」という言葉からは、1930年頃の世界恐慌を念頭におき、「これまでの基本路線は変わらないが、修正が必要で、修正した後はこれまで通りの路線を歩むことができる」という考えを感じ取ってしまいます。
しかし、今回の事態はそんなレベルではないと思います。分かりやすいイメージで言えば明治維新のようなものではないでしょうか。明治維新では、260年の幕藩体制が崩壊し、身分制度は士農工商から四民平等となり、廃藩置県によって県が出現し、幕府貨幣や藩札に替わり円が導入される等々、維新の前後では同じ日本とは思えない変化が生じたと思われます(だから維新なんですが)。
今回の事態を明治維新にあてはめてみると、経済危機は黒船来航ではないかと思います。黒船来航に対し、当時の幕府はどうすべきか分からず、故に腹も据えられず、国内は混乱し、維新へとつながっていく様子は、現在の政府と同じように見えます。そして、維新を成し遂げた勢力は中央政府内部(権力内部)ではなく薩長を中心とした地方、つまり権力から縁遠い勢力でした。更に、維新の英雄である西郷隆盛は世に出る前は島流しにされており、坂本龍馬は脱藩していますから、想像できなかった動きが既存権力の外から始まったということだと思います。そして、今回も同じような動きが始まるのではないかと思います。
また、黒船来航から明治維新までは15年程かかっていますし、維新後の混乱(内乱)が収まるまでに更に10年程かかっていますので、今回もある程度の時間を覚悟しなくてはならないと思います。

今回の維新を平成維新と言うのか、21世紀維新と言うのか分かりませんが、維新の後には安定した幸せな社会、持続可能な社会が到来すると思いますので、その新しい社会をしっかりと見つめて、これからの激動期を過ごしていきたいものです。

更に言うと・・・(ここまで書くと暴言シリーズにしたほうが良いかも(笑))
私は今回の事態を、「百年に一度」ではなく「千年に一度」以上のレベルであると考えています。
縄文時代は狩猟採取の生活で、貧富の差や階級の区別がなかったとされています。また、弥生時代は農耕による富の蓄積が始まり、貧富の差や階級の区別ができたとされています。
今回の維新では、弥生時代以降から続く「モノの豊かさの追求」(縄文時代も皆無ではなかったかもしれませんが)が転換されるのではないかと思っています。もちろん「モノの豊かさの追求」自体は悪いものではありませんが、それが最優先課題となっていることが問題だと考えます。
「モノの豊かさの追求」は相対的幸福感(人との比較・人からの評価)と深く関連し、極論すれば「心の豊かさ(安らぎ・落着き等々)」と相反するものだと思います(あくまで極論です)。
地球上には、縄文時代と同じような生活をしている先住民族と呼ばれる人たちがいますので、彼らの価値観で暮すことを不可能と言うことはできないはずです(*1)。私は、縄文人や先住民族と同じ狩猟採取の生活をすべきと言っているのではなく、同じ価値観を持って科学の発達した現代を生きていくべきと考えています。

*1
「バカの壁」著者の養老さんは、著書「いちばん大切なこと」(環境問題についての著作)のなかで、「環境問題解決の為にやらなければならないことを議論すると、『そんなの無理だ』とか『できるはずない』と断言する人がいるが、その理論は破綻している。『私には無理』とか『私にはできない』と言うべきであり、それなら納得する」とおっしゃっています。いい事おっしゃいますな~。

今月はイロイロありました

12月は、議会中に父入院(自動的に私が母の介護担当)→祖母死去→一家全員が風邪 と落着く間がない一ヶ月でした。

祖母は、ここ数年寝たきり&家族に対しても「あなた誰ですか?」状態だったので、知らず知らずのうちに私たちの心の準備を整えてくれていたようでした。また、98歳だったこともあって、切なさや悲しみを抱えた葬儀ではありませんでした。
親戚が集まって祖母の思い出話をした際、私が「注意されたことはあったけど、怒られたことはなかったな」と話すと、祖母の子や孫達は皆「そういえばそうだったな」と言っていました。
感情的にならずにモノを言えた人だったのかもしれません。それを見習うのが供養になるのではと感じています。

第2子誕生

申し遅れましたが、2ヶ月前に第2子を授かりました。
上の子が4歳半で、これまで楽しく過ごしてきましたし、今もとても可愛いので、少なくとも4年半は楽しい子育てを体験できそうです。

一人目も二人目も、出産に立ち会うつもりでしたし、立ち会いOKの助産院を選んでいるのですが、どちらも立ち会う事が出来ませんでした。静岡で里帰り出産したので元々難しい話しだったのですが・・・、チョット残念ですね(そうそう、里帰り出産って日本独特の習慣らしいですね。理由もあるようですが)。

ところで、我々夫婦は自然分娩・ナチュラル出産(陣痛促進剤や帝王切開・吸引などは基本的になしで、子の生まれる力と母の生む力を尊重する)に近い形で産みたいと思っていました。今は赤ちゃんが病院で管理されて合理的に生まれるのは当たり前ですが、人類の歴史では極最近のことであり、それこそ以前に問題になった「産む機械」ではないですが、現代の出産事情にチョット違和感を覚えていたのです。
そこで、今回の出産にあたり、改めていろいろと調べていると、嫁さんが吉村正先生の「幸せなお産が日本を変える」という本を見つけてきました。日頃なんとなく感じていたことを、医療の最前線で実践している方から示して頂いて、腹に落ちた感じがします。涙もにじんできました。興味のある方はご一読ください。

さて先日、我が子と同じ4歳児の父親である同級生と子育てについて話していると、同級生が「買い物に連れて行くとオモチャをせがまれて大変。遊園地に連れて行ってと言って大変」と言っていました。聞くと、小さい時からオモチャを買え与え、遊園地に連れて行っていたそうです(かわいいが故にやっていることなので、批判するつもりはありません)。
我が子には沢山の「おさがり」をもらえ、オモチャもそれで十分なので(少子化のおかげですかね)、子どもの為の買い物はほとんどしません。故に、店に並べてあるものにお金を払って自分のものにするという実感がまだないようで、おねだりは一度もありません。また、遊びに行くのも公園やプールや海で、豪華な遊びはしないので、遊園地に連れていってという要求もありません(家計は助かってます(笑))。それでも十分に楽しいし、子も満面の笑みを浮かべてくれます。
どちらが良い悪いでなく、育った環境によって随分違うものだなと感じました(それ以外の要素や個性にもよると思いますが)。

妊婦死亡事故

先月、妊婦が脳内出血で8病院に搬送を断られ、出産した後に死亡した事故が発生しましたが、その夫の記者会見に心が揺さぶられました。

彼は「かかわってくれたすべての医療関係者は、人として一生懸命やってくれた。責任追及したり、誰かを責めることで、産婦人科の医師が減っては元も子もないのでその気はない。妻の死を無駄にしない為に医療問題を改善して欲しい。息子には医療を変えたのは母さんだと伝えたい」などと深く静かに話していました。

怒りや責任追及の会見を目にすることは多いのですが、この方のように達観した会見はあまり見かけません。怒りや責任追及を行なう人の気持ちはよく理解できますし、そういった行為で物事が改善していくことも多いので、怒りや責任追及は必要なことなのかもしれません。世間話でも「怒らなきゃダメだ」とか「なんで怒らないの」いう言葉を聞くことがあります。しかし、この方のように、こんな状況の中でさえ感情に流されないで語ることが出来る人は凄い人だなと感じましたし、本当の意味で世の中を変えていけるのは、こういった方々なのかもしれないなと感じました。関係者は彼の気持ちに甘えるのではなく、本当に真摯に受け止めて対処して欲しいものです。

そして、この会見を見た時、以前に聞いたあるインタビューを思い出しました。
9.11テロで夫を亡くし、子供と共に残された妻(日本人)のインタビューです。彼女は「恨み・怒り・憎しみの連鎖を止めなければならない。自分は今回のテロに対し恨み・怒り・憎しみを持ちたくない」といった旨の発言をしていました(随分前なので文言は違っているかもしれません)。
彼も彼女も、悲しみや辛さを既に乗り越えているのではなく、乗り越えようと努力しているのだと思いますが、その姿に心が揺さぶられ、言葉が響くような気がします。

田母神氏の一件から  ~愛国心と反省~

前空幕長の田母神氏が参考人招致され、 「日本が悪かったという論が多すぎる。 日本をいい国だと思わなければ、愛国心を持たせなければ、国は守れないと思った」といった旨の発言があったようです。

今回の一連の件で、二つのことが心に引っ掛かりました。
一つ目は「愛国心」。
今の日本では、「人に優しく」「人を愛せよ」「国を愛せよ」「いじめや虐待はいけない」等など、他者に対して「どうしたら良い」とか「どうしたら悪い」といったことのみが教えられているようです。「国を愛せよ」と繰り返し言って愛国心を植え付けることは可能だとは思いますが、歪んだ愛国心になってしまうのではないでしょうか。愛国心は自然に発露するのが理想でしょう。そして、その原点は自己愛だと思います。自分が好き→自分と縁の深い家族が好き→自分と家族の生活の基盤である地域社会が好き→自分や家族や地域が繋がっている国家が好き→国家が存在している地球や人類が好き と発展していくのが正常な愛国心の育み方だと思います。例えば、自分自身のことさえ愛せないのに、他人や国家を愛することができるでしょうか? 表面的に出来たとしても、それは歪んだ愛になってしまうのではないでしょうか。自分を本当に愛するには自分自身と向き合い、見つめなければなりません。向き合うことなしに自身を愛すると歪んだ自己愛になる可能性があると思います。そして、自分と向き合い、自分を愛した人が、他者と向き合い愛することが出来るようになるのです。
現代の日本では、この最も基本となる「自分自身と向き合い、見つめる」という作業が教えられていないと感じるのは私だけではないようです。

二つ目は「反省」です。
過去の反省をすることと、自虐的になることは別物です。反省することによって、人も国家も成長するものだと思います。逆に、反省することがなく、何をやっても良としたならば、独善的な人や国家になってしまうでしょう。人も国家も何らかの原因で過ちを犯すことがあります。しかし、そこで反省し、謝罪し、過ちを繰り返さないということは、とても崇高な行為であって、本当に反省した人や国家は前向きになるものだと思います。
反省=自虐との捉え方は、表面的な○×で人を評価する風潮の表れだと思います。

ところで、ここまで書いて新たに感じるのは「自衛隊って世界の軍隊の中で最も崇高な精神が要求されている組織ではないか」ということです。世界の軍隊は「相手国が悪いから」とか「相手国が憎いから」とか「自国の利益の為」とか「自国は絶対正しい」という歪んだ愛国心をエネルギーにして組織を成り立たせているように感じますが(あくまで私の印象ですが、人を人と思わせない訓練なんかはしているようです。また、そうしなければ軍隊というものは維持できないのでしょう)、自衛隊の場合は創設の経緯や国家理念からしてそうであってはならない気がします。

* 自衛隊や日本の平和外交についての私の考えは平成18年3月27日の長岡市議会本会議で述べていますので、議会HPから議事録検索で見ることができます。

持続不可能な社会の崩壊が始まったのか

株価の乱高下や物価高などなどの最近の諸現象を見ますと、現在の価値観に基づく社会システムが悲鳴をあげてきているようです。

私が「持続可能な社会の実現」を訴えてきたのは、今現在は持続不可能な社会だと考えているからです。持続不可能ですから、いつかは崩壊するのですが、それが始まりつつあるのかもしれません。
おそらく、持続可能な社会への転換は明治維新かそれ以上のインパクトを持つと思います。新しい価値観に基づく新しい社会システムが構築され、社会が安定するまでは混乱は避けられないと考えます。
その混乱を少しでも抑えたいと思い、微力ながら行動してきましたが、生みの苦しみを避けては通れない情勢のようです。大きな変革と混乱はセットになっているのかもしれません。

目先の混乱だけに目を奪われると、不安・焦り・怒りで心が乱れてしまうので、「その先に待ち受ける輝かしい未来」にも焦点をあてなくてはならないと思います。

抽象的ですが、思うがままに書いてみました。

緑のカーテン(3年目)

室温低下・我が家の食料自給率アップ・諸々の精神的効果が得られる我が家の緑のカーテンも今年で3年目になります。

過去2年やってますので、それなりのノウハウが蓄積されていまして、今年は更なる充実を目指してやってきました。
その結果、今年は家の東西南面のほぼ全ての窓に緑のカーテンが設置されています。これまでは趣味と実益を兼ねて夢中でやってきたのですが、この前、家の裏の土手から見ていたら、ふと「これは市内最大級の規模だ」と思いました。仕事柄あちこち走り回りますが、こんなに全面的に設置しているのは見たことがありませんから・・・。好きで「緑のカーテン道」を追求していたら(そんなんあるんか(笑))、こんなになっちゃったって感じです。

今年の喜びとしては、初挑戦した小玉スイカの空中栽培(緑のカーテンのネットに這わせる)がそこそこ成功し、ほとんど手を掛けなかったにもかかわらず美味しいスイカができたことと、キュウリがこれまで以上に美味しかったことです。

また、今年は生態系の妙も感じることができました。
実は昨年、ひょうたんを植え、凄い勢いで繁茂してくれたもので期待していたんですが、ある時からウリキンウワバという虫がついて葉をほとんど食べられてしまいガッカリしたのです(他の植物にはつきませんでした)。だから今年はひょうたんをやめ、替わりに同じく葉がよく茂るといわれているカボチャを植えてみました。期待通りよく茂ってくれたのですが、またあの悪魔(笑)ウリキンウワバが発生しました。そして、それと時を同じくして屋根にアシナガバチの巣が発見されました。4歳の娘がいるし緑のカーテンの作業で屋根に登ることもあるので、蜂の巣を駆除するべきかと悩み、とりあえずインターネットでアシナガバチの生態を調べてみると・・・。なんとウリキンウワバを捕食してくれるようだし、攻撃性は低いことが分かりました。人間以外の生物ともできるだけ共生したいと思っていますので(エッ、ウリキンウワバとも? も・も・もちろん、できるかぎり)蜂の巣を駆除せずにいたところ、ウリキンウワバは発生しますが去年のように成長することがなく、よって葉も保たれています。蜂が直接の要因なのかは断定できませんが、去年はアシナガバチの姿をあまり見なかったような気がしますので、私としては蜂効果と考えているところです。

3年試行錯誤してみて、「我が家の緑のカーテンはヘチマ・琉球朝顔・ゴーヤを主力にしながら、食べる楽しみのキュウリ・スイカを混ぜ合わせ、連作障害に気をつけながら植える」のがベストのようです。
暑い日が続き、我が家の緑のカーテンはまだ活躍していますが、来年は土作りを進化させて満足度を更に高めたいと思います。
皆さんもチャレンジしてみては如何ですか? 人間は土と離れては生きていけないって感じるかもしれませんよ。

アンチエイジング

私の場合、しょっちゅう更新が滞りますが、今回は軽い体調不良も一つの原因です(それだけが原因ではありません(汗))。42歳になったばかりですが、体に変化が現れる年齢なのでしょうか? 厄年っていうのも、丁度それ位が変化の年齢っていう目安なんでしょうかね? これまでは20代の頃の生活様式を微調整しながら生きてきましたが、今後は中年の生活様式へ進化していこうと思います(進化ですよ(笑))。
あっ、体調はほぼ完全に回復しました。

関連ネタですが、巷ではアンチエイジングが流行しているようですね。
興味がないので、アンチエイジングブームを正確に捉えているわけではありませんが、「いつまでも若さを保ちたい」とか「若い方が素晴らしい」といった欲求や価値観が強まっているんでしょうか?(アンチエイジングは美容から医学まで幅が広いようですが)

私は、いい歳のとり方をしたいですね。歳を重ねるごとに心(内面)を熟成させて、歳相応に素敵で充実した40代、50代と歩んでいきたいと思います。実際にそうなりたいですが、結果が伴うかどうかは別にして、少なくともそれを目指して生きていきたいと思います。私にとっては、この生き方のほうが幸せです。
ん~、中年らしいコメントだ(笑)。

夢は必ずかなう?

突然ですが、私、高橋尚子さんのファンでした(重~く受けとらないで下さいね(笑))。
出演するテレビやレースを全部チェックするというほどの熱烈なものではなかったけれど、人間性とか感性とか人生観に魅力を感じていて、素敵な人だなと思っていました。

私が観察しているところによると、彼女、シドニーオリンピックで金メダルとってから精神的な変化があったと感じています。今回のレース前に「「あきらめなければ、夢は必ずかなう」ということを皆さんに伝えたい」と言っていたことに表れていると思うのです。つまり、結果に執着するようになったのではないかと思うのです。もちろん、シドニーの前も後もレースで勝つことを目標にしていることに変わりはないのでしょうが、シドニーの前は一生懸命、精一杯やることを楽しんでいたように感じます。極端に言えば、一生懸命やることが第一目標で、勝つことが第二目標だったのが、第一と第二が入れ替わってしまったような気がするのです。結果を強く握り締め過ぎているような。だから最近は何か悲壮感が伝わってくるのです。体調がすぐれないとか、周囲の期待とか、思うようにならないとか、本人にしか感じられないこともあるのでしょうが・・・。

諦めなければ夢って必ずかなうものなんでしょうか?
もしそうなら高橋さんは強い気持ちが足りなかったということなんでしょうか?
例えば、高校野球甲子園大会で優勝する学校は1校ですが、それを目指している多くの学校の中で、その高校以外は諦めたのでしょうか?
「絶対死にたくない」と思っていれば永遠に生きられるのでしょうか?(これ、私の思春期の頃の夢です(笑))
諦めなければ、西から上ったお日様を東に沈められるでしょうか?(バカボンかっ(笑))
自分ではどうにもできないことがあるように思えます。
ヤンキースの松井秀喜選手がある時、大事な試合の数日前にインタビューを受けていました。
リポーター「今度の試合、ホームランを期待してます」
松井選手「自分は、自分がコントロールできることを一生懸命やるだけです」
自分のできることとは、体調管理や集中することや相手の研究や全力プレーなのだと思いますが、結果を求め過ぎていないコメントだったので、爽快感を覚えました。

私が中学生の時の校長先生が、当時の冬季オリンピックで男子スピードスケート全種目金メダルを獲得したエリク・ハイデン選手について何度か語っておられた話です。
「彼は全種目金メダルを取った後のインタビューに「私にとって金メダルはそれほど重要ではない、そこに至る過程が重要だったのだ」と応えています。過程が大事なんですよ」
当時受験生だった私は「一生懸命勉強すれば、受験に失敗してもいいって事にはならないよな~。合格することが一番大事だぜ」なんて友達と語り合っていたのを覚えています。
でも、嬉しいことに校長先生の真意を少しづつ理解できるようになってきました。なぜ嬉しいかって? 過程・プロセスを大事に生きていくほうが楽しいし楽なのです(精神的に楽って事ですが)。だから、物事が意外にうまくいったりしてしまいます。うまくいかなくても過程が大事なんですから、必要以上に落ち込む必要もなく、再チャレンジの為の良い学びに置き換えることができます(ノーテンキではなくて反省は必要だと思いますし、相手がある場合は責任を取らなくてはなりません)。

Qちゃんが変わったと感じたのは、私の感覚が変わったせいかもしれません。
こんな感覚で子育てもしているのですが、どうなることやら楽しみです。

宮本さん

自殺しようとした女性を救おうと線路に侵入して亡くなられたお巡りさん、宮本さんの一周忌であると報道されています。
以前、人間にとって生き様が一番大事ではないかと書きましたが、自分の損得や利害などを超えての行動に私はとても心打たれてしまいます(私の経験から考えると、救いに行く瞬間は自らの危険は感じていなかったと思いますが)。宮本さんの報道を見ていても目頭が熱くなりました。

報道によると、宮本さんは出世を希望せず、生涯一お巡りさんでいたかったようです。出世して自分の欲望を満たしていた防衛省の守屋前事務次官とは対照的な生き様だと感じます。

高学歴より価値あるもの

防衛省の守屋前事務次官が逮捕され、汚職の実態が明らかになりつつあるようです。
行政事務方トップですので、彼も高学歴でした。このように、高学歴の持ち主であっても問題を起こす人が後を絶ちません。

現在の高学歴信仰は、相対的価値の追求によって引き起こされていると思います。
高学歴でも人道を外れる人と、低学歴でも真っ当に精一杯生きている人。人生の価値として、学歴(相対的価値観)と生き様(志)、どちらに重きを置くのか、よく考えなくてはなりません。と言いますか、考えなくても分かると思うので、後は私自身も含めて一人ひとりが実践していく必要があると思います。

最近、「志って大切だな」とつくづく感じます。
例えは変かもしれませんが、包丁で例えます。志を持って使用すれば美味しい料理を作って人を喜ばせることができますが、使いようによっては人を脅したり傷つけることにもなります。まさに心によって、その使い方が変わってくるのです。

ところで、私の名前は貴志です。命名する時に「この男は志を持たないととんでもない人間になるぞ」という天の忠告が親に聞こえたかどうか分かりませんが(笑)、今になると自分を戒める良い名前を頂いたと感じています。
志や愛情を持ってモノや自分の体を使えるように、少しずつ訓練していきたいと思います。

亀田騒動

前回の亀田一家に関する書き込みは、出張で家を出る間際に行ったもので、言葉足らずの面があったかもしれません。
本日、亀田家長男(興毅)が謝罪会見をして一区切りついたようなので、追加書き込みを行います。

前回言いたかったのは、心を見つめる事(自分の心も、他人の心も)の大切さです。心をどの切り口で見るかによって、単純にも複雑にも見えるものだと思いますが、心全体を常に捉えていたいものだと思います。

前回書き込みの日の夕方、亀田家の一回目の謝罪会見が開かれました。出張先で早めにホテルに入れたもので、夕方のニュースでじっくり見ることができました。
弟(大毅)さんの姿を見て、ホテル東横インの社長の会見(不正改造の謝罪)を思い起こしました。「利益追求のためだった。自分を上等な人間だと思っていたことが恥かしい。早く直したい」といった旨の言葉とともに、深くうなだれ涙する姿に、心から反省したんだなと感じました。最近は様々な謝罪会見が開かれますが、東横イン社長の姿は当事者が本当に反省したという印象を受けた数少ない会見であったと感じます(今、この社長がどうしているかは分かりません。一時反省しても元に戻ることもありますから)。
弟さんの場合も事の重大さを感じているという意味では同様に見えますが、反省したというよりショックを感じている状態のように見え、ここが東横インの場合とは決定的に違うと感じます。本当の深い反省をすると(前回も書きましたが、その為には相当な葛藤が必要な場合があります)、心が前向きになるものだと思います。

少々唐突ですが、私は自分自身も含め、多くの人が「責めのエネルギー」を持っていると思っています。この「責めのエネルギー」が外に向かうと他人を責める(発展すると傷害など)ことになり、内に向かうと自分を責める(発展すると自閉や自殺など)ことになります。亀田家は「責めのエネルギー」を外に向けてきたようなので、これが今回を機に内に向かないことを祈っています。「責めのエネルギーは」内に向いても、外に向いてもうまくありません。「責めのエネルギー」そのものが必要ないことに気付かなくてはならないと思います(気付くと、このエネルギーは減っていくようです)。

人はどんな些細な事からも心の学びを得ることはできると思っていますが、今回の亀田騒動も多くの人(当事者・マスコミ・評論家・国民(私も含む))が学ぶ機会にできるのではないかと思います。

亀田一家

亀田一家騒動が連日報道されています。
私は少年時代に熱狂的な格闘技ファンだった為(中学ではプロレスラーになることも考えていたくらいです(笑))、この試合にも注目していました。
亀田一家が処分されたわけですが、報道されている内容を見聞きすると、亀田選手(兄弟)が反省して復帰するシナリオを前提に物事を捉えているように感じます。私はその辺は怪しいのではないかと感じます。

話は変わりますが、安倍前総理が外国で「職責をとして」と発言したことがありました。その当時のマスコミの論調は「駆け引き」とか「必死さをアピール」といったものでしたが、私は「やめたがっているのでは」と思っていました(まさか、あんなに早く、あんなタイミングでとは思いませんでしたが)。人間の心というものを考え、本人の立場にたってみると、周囲の判断と本人の判断が異なる場合が多々あります。

今回の場合も、予測通り反省して復帰することもあるかもしれませんが、「ほなやめたるわ」ということになるかもしれません。彼らのこれまでの生き方から推測するとやめるほうが楽なような気もするのです。反省して復帰する場合は相当な心の葛藤を経なくてはならないと思うのです。まあ、抱えているものやこだわっているものがいろいろあるでしょうから、最終判断はどのようになるのか分かりませんが、マスコミが言っているような単純なものではないと思います。

心って、単純なようでもあるし、複雑怪奇でもありますね。

多治見市長  ~温暖化ネタ~

先日、温暖化の認識が甘いと書き込みましたが、また目に留まったもので・・・・。

日本の観測史上最高気温を記録した多治見市長のコメント、「知名度が上がって良かったが、熱中症には十分注意してほしい」。
テレビで放映されたコメントですから、これ以外のこともおっしゃっているのかもしれませんが(マスコミは、発言者の意図を十分汲み取って報道していない場合もありますので)、もし放映された部分に市長の力点が置かれていたならば、これも認識不足だと思います。
「このまま温暖化を放置していたら大変なことになる。国の取り組みでは不十分なので、多治見市は本腰を入れた温暖化対策を世界に発信していきます」っていうようなコメントが出ていれば私的には拍手喝さいなんですけど、「知名度が上がって良かった」は如何なものかと・・・。

それから、今回の一連の猛暑報道を見ていて気付いたことがあります。
数年前の猛暑報道の際には、その原因が海流だとか偏西風の変化だとか言っていて、温暖化との関連は聞かれなかったのです(私がニュースを見た範囲で)。今回もラニーニャ現象だとか、高気圧の位置だとかいった解説が多かったとは思いますが、「温暖化がベースにある」との解説もいくつか見ることができました。

報道番組・ミミズ ~温暖化ネタ~

昨日の朝「みのもんた」さんの番組で、「北極の氷が過去最小となった」とのニュースを取り上げていました。
コメンテーターには前宮城県知事の浅野さんや元キャスターの杉尾さん等が揃っていました。

みのさん「北極の氷が溶けると何か問題があるの?」
杉尾さん「海面が上昇するのです」
浅野さん「いや、南極の氷は大陸の上に乗っているので融けると海面は上昇するけど、北極の氷は海に浮いているので融けても海面は上昇しない。それにしても、自分が生きている間に温暖化の影響が出るとは思ってもいなかった」
こんな感じの会話が交わされ、「ではCMです」となりました。

私は「おいおい、チョッと待ってくれよ。このニュースを取り上げてくれるのはいいんだけど、ちゃんとした認識を持って伝えないと意味がないぞ」と思いチャンネルを変えました。
実は、北極の氷の減少は様々な影響を及ぼす可能性が指摘されています。例えば「氷の面積が減ったことで太陽光を反射しにくくなり、水温と気温がさらに上昇する」とか、「海洋循環に大きな影響が及び、その結果氷河期となる」等など。また、今回の観測結果から、温暖化の速度が従来の予想をはるかに上回っている可能性も指摘されています。だから今回のニュースは大問題なのです。
杉尾さんの「北極の氷が融けると海面が上昇する」という発言や、浅野さんの「自分の生きている間に温暖化の影響は出ないと思っていた」という発言にもビックリしました。これほどの人達でさえこの程度の認識だということで「日本人は環境問題に対する知識が乏しい」というデータを再認識させられました。

チョットしてからチャンネルを戻すと、いかにも急遽出演しましたといった感じのTシャツ姿の人(スタッフっぽい)が、通常ではないカメラアングル(スタジオの端)で「北極の氷が融けると大変なんです」といったコメントを述べていました。それに対して、みのさんが「じゃあ、北極の氷は融かさないほうがいいんだね?」と聞くと、Tシャツ姿の人が「できれば」と答えていました。「できれば」ですか・・・・。

同じく昨日、信濃川の土手を自転車で通行していると、道路に細長いものが点々と散乱しています。よく見ると、なんと大量のミミズたち。
ミミズが地上に出てきて干からびている姿はよく目撃しますが、これほど大量に見るのは初めてです。原因はよく分かりませんが、異常高温で土の中も住みづらくなっているのかもしれませんね。

柏崎でのボランティア活動に参加しました

再び大地が揺れました。
中越地域の住民は、3年前の地震の余震も含め、ここ数年で世界中で最も揺れを体験している人間ではないかと思います。
我々は、この試練を乗り越えていかなくてはなりません。

昨日、知人と柏崎市に行ってきました。
3年前の水害の時にもボランティア活動に参加していますが、同じ災害ボランティアでも、水害と地震とでは活動内容といいますか質が違うことを改めて認識しました(中越地震の際は仕事優先だったのでボランティアの現場には出ていませんが、薄々は感じていました)。

現地の状況からして、中越地震の時と同じく、平穏な生活(心も含めて)を取り戻すには時間がかかると思われます。3年前の教訓を最大限に活かさなくてはなりません。

それにしても、今回も時間とお金をかけて日本中からボランティアが集まってくれています。寝袋持参の方もたくさんおられました。こういった方々を見ていると、その想いに感動し、思わず目頭が熱くなってしまいます。そして、「このような人の想いが世の中を好転させていくのではないか」と感じてなりません。
大災害という悲惨な状況の中でも、次の時代の光が見えているのではないでしょうか。

仕事の都合上、しばらくはボランティアの時間は取れないのですが、時間を作れるようになった時に、まだボランティアニーズがあれば再度行ってこようと思っています。

ゆとり教育

  • 2007年06月02日(土) 22時11分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

教育再生会議の2次報告がまとまり、この中に授業時間の増加が盛り込まれました。私は「ゆとり教育」に賛同していますが、どうも方向転換しそうな様相です。

正直、現在の「ゆとり教育」はうまくいっていないと思います。その理由は、教育だけに「ゆとり」を導入したためだと思います。学校教育を終えて出て行く現代社会は相変わらずの競争社会・ファスト社会で、競争に勝ち続けられる人材(あくまで、目先の競争・短期的競争なのですが)を求めているのです。
「ゆとり教育」の理念は素晴らしいと思います。その理念を延長して、世の中も「ゆとり社会」に転換し、整合した国づくり・まちづくりを実現したいものです。

松岡大臣が自殺

  • 2007年06月02日(土) 21時58分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

日本は1年に3万人が自殺する国です。
何故自殺するのか? 様々な理由があるのでしょうが、私は「自分自身に生きる価値がないと思い込んでいるから」だと思っています。言い換えれば「自分自身の素晴らしさや尊さに気付いていないから」だと思います。これまでにも述べてきましたが、ここで言う素晴らしさや尊さは、決して人と比べてとか、肩書きとか、何を成したとかではありません。まさに、命そのものの絶対的な素晴らしさや尊さです。この素晴らしさ・尊さを感じていない人のエネルギーが、内に向いた場合は自殺、外に向いた場合が他殺となってしまうと考えています。自殺と他殺に共通するのは、命の素晴らしさや尊さを感じる心、つまり自己肯定感や自尊心の欠如だと思います。

選挙を終えて

  • 2007年04月24日(火) 21時53分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

私にとって3度目の挑戦となる長岡市議会議員選挙が終わりました。
私の得票は3424票で、46人中14位という結果でした。

過去2回の選挙もそうだったのですが、当選した瞬間に責任をズッシリと感じるので、喜びが爆発するということはありません(嬉しいのですが、大喜びとまではいきません)。不幸な性格なのかもしれませんが(笑)、それでいいと思っています。

さて、今回は予想よりも多くの票を頂きました。
その要因としては、①支援者の方々の頑張り ②私の主義・主張が、これまで以上に支援者の方々に伝わった ③幸か不幸か、私が提起してきた問題(環境問題・精神問題・政務調査費問題などなど)に対する認識が、有権者の間に広がっていた 等が挙げられると思います。

今後も精一杯努力してまいりますので、宜しくお願い致します。

少子化問題の問題

  • 2007年04月14日(土) 07時53分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

ここ数年、少子化が問題視され、子育て支援の拡充が求められています。
しかし、何かおかしな方に向かっている気がします。

子育て支援といっても、「子育てする親の支援」の意味合いが強いように感じます。保育園の新設や延長保育、放課後児童クラブの設置など、極端に言うと「子供を産んでも仕事に支障のない仕組み作り」に向かっているのだと思います。子育て中の親を支援することに何ら違和感はありません。私の感じる違和感は、現在の子育て支援のメニューの中に、子供の気持ちを汲み取ったものがあるのか?ということです。子供の親を中心にして考えるのではなく、子供にとってよりよい環境作りが求められているのではないでしょうか。親が子供にじっくりと向き合う時間=子育ての時間を確保してあげること、その為に経済的な支援をすることも考えなくてはならないと思います。「子育て支援+子育ち支援」が必要だと思っています。
先日、ラジオから「子育てに魅力を感じなくなった生物種は絶滅する」という言葉が聞こえてきました。我々のDNAに本来刻まれている生き方(自然な生き方)が失われつつあるのですね。「子は宝」を再認識したいものです。

また、人口問題についても違和感を感じます。
「人口減少は大変なことだ」といった認識が広がっているように感じますが、私はそうは思いません。
人口が増え続けたほうがよいのでしょうか、若しくは人口が現状維持されたほうがよいのでしょうか?
そもそも、日本の適正人口は何人なのかの議論が欠けています。国土面積や食料・資源の自給率から考えると7000万人が適正との説がありますが、だとしたら減少もOKなのです(ただ、そのペースの問題は残りますが)。「人口が多いほど国力がある」というのは、ある一面から見た場合は確かだと思いますが、北欧のように人口が少なくても幸福感を抱く国民が多い国があることも事実なんですよね。

このように、本来どうあるべきかという議論がないまま、とりあえず対策を施すという事例が非常に多い世の中ですね。

保育料、給食費の未納問題

  • 2007年03月22日(木) 00時02分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

給食費の未納が全国的な問題となっていると思ったら、今度は保育料の未納が発覚しました。払う能力があるのに払わないという現状を耳にするたびに、ひどい世の中になったもんだと感じざるを得ません。
しかし、こういったことは何の前触れもなく突然起こったのでしょうか? 私は違うと思います。

私は現在40歳ですが、幼かった頃を思い出してみましょう。
家族で遊園地や動物園に出かけた時、例えば「4歳未満は無料」だったとします。その時に親が4歳の子供に対して「○○チャンは今日は3歳のことにしてね」と話し、料金所で「この子は3歳です」と言う場面を見かけた記憶があります。また、スーパーなどで、間違って釣銭が多く戻ってきた時「ラッキー」と言ってそのまま帰ってしまう大人を見た記憶もあります。
この時、子供は何を学ぶのでしょうか。「得するならルールを破ってもいいんだ」ということを学習するかもしれません。また「お金のためなら嘘をついてもいいんだ」ということを学ぶかもしれません。
もし、未納問題を起こしている親が、子供の頃にこういった学習をしていたとしたら、その責任は前の世代にもあるということにはならないでしょうか。勿論、私の子供の頃には給食費未納などの問題はなかったと思いますので、当時の親世代は今ほどひどくなかったのは事実でしょう。しかし、上記のような少しのほころび(これ位はいいんだ)が世代を経て大きくなっているのは、この問題以外にもあるのだろうと感じています。

見ちゃいられません

  • 2007年01月17日(水) 23時16分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

最近は忙しくて、ニュース番組もゆっくり見ることもできない状態でしたが、本日は某番組のトップニュースから見ました。
でも、すぐに消したくなりました。殺人事件や不祥事といったニュースの連続で、気が滅入ってしまいます。事実はしっかりと受け止めなくてはなりませんが、こうも連続するとさすがに…。
世の中には、心が温かくなったりホッとするような出来事も起こっています。マイナスイメージのニュースを流したら、同じ時間だけプラスイメージのニュースを流すっていうルールを作ったりしたら面白いと思います。「今日、上越新幹線内で○○さんがお婆ちゃんに席を譲りました」「譲った○○さんのコメントです」「恥ずかしいな~ とか、逆に怒られるかな~ と考えて躊躇しましたが、思い切って譲ってみたら喜んでもらえて気持ちよかったです(笑)」なんていうニュースも流れてほしいですね。世の人々の心理状態も結構変わるような気がするんです。

一番大切なものは お金?

  • 2006年12月11日(月) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 日本は世界で2番目の経済大国ですが、幸福感を持つ人の割合は世界で29番目です。

 人はみな幸福になりたいものです。経済的な豊かさが幸福感につながる時代があったのは事実でしょうが、今の日本に合った考え方ではないと感じます。お金や経済は大切ですが、1番大切なのではなく3番目や4番目に順位を下げたいものです。

 では1番大切なものは何か? 命でしょうか? だとしたら、1番大切なものを必ず失う人生は辛く・怖いものになってしまいます。

 私? 私の一番大切なものは…、正確に言うと大切にしたいものは、生き様です。

 皆さんは如何ですか?

寒い季節に なんですが

  • 2006年12月10日(日) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 報告しようと思って忘れていました。我が家の緑のカーテンの話。

 先日、ネットを片付けました。ヘチマの緑はまだ力強かったんですが、もう雪が降るので逝って頂きました。

 緑のカーテンの効果 知りたいですか?

 効果有りです。

 ほとんど冷房をかけないエコ生活をしていますので、例年では、どうしても寝付けない熱帯夜が2~3日はあります(普通の熱帯夜なら大丈夫なんですが)。ところが今年はゼロ! エコ生活仲間に聞いてみますと「寝苦しさは、いつもの年と変わりなかった」という人が多かったのです。

 来年は更に工夫してやってみたいと思っていますが、選挙直後が種まきの時期なので、どうなることやら