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あるコミュニティー誌への寄稿

某誌への寄稿文を掲載します。

予防原則

関 貴志

 私は10年程前から環境問題に関心を持ち、ここ数年は勉強も重ねてきました。

 どんな問題でもそうなのでしょうが、環境問題も深く追求すると実に様々な事に気が付きます。

 その気付きの一つに、現代社会での危機管理能力もしくは予防原則の欠如があります。この観点から私個人を見てみますと、例えば車のスタッドレスタイヤへの履き替えなんかがそれに当たると思うのです。毎年のことなんですが、冬が近づき雪が降ることが分かっていても、ギリギリまで(大抵は一雪降るまで)履き替えません。どうせ履き替えるのだから、安全重視で早めに行えばいい筈なんですが、これができないのです。子供の時分には、少々寒いと思っても厚着しないもので、よく親に「風邪ひくから重ね着しなさい」と注意されたものです。皆さんも日常生活のいろんな場面で感じる事があるのではないかと思います。

 そして、これが社会レベルになった場合は、例えば水俣病・サリドマイド事件・ヤコブ病・薬害エイズ事件といった形で現れます。バブル崩壊後の経済対策や狂牛病もそうですが、実は事件そのものを防いだり又は被害の拡大を防ぐ事ができたのです。危ないという情報(警告)が事前に発せられていたのです。危険を察知していたが対策を講じなかった為に、被害者は国を相手取り裁判を起こしたのです。

 これらの事件は、命の優先順位(重要度)が低下してきていることを物語っているような気がしてなりません。では、命よりも優先度の高いものはなんだったのでしょうか? 考えると、いろいろと浮かんできます。命よりも重要なものがある社会は正常と言えるのでしょうか? 私は、自殺者の増加や凶悪犯罪の増加も、命が軽くなってしまった結果と捉えています。

 さて、地球環境問題で予防原則は発揮されているでしょうか? 答えは否。水俣病や薬害エイズ事件と同じ道をたどっています。これらの事件よりも環境問題のほうが、因果の時間的スパンが長かったり、被害者と加害者の区別がつきにくかったりするために、予防原則の適用がいっそう難しいのです。

 環境省が昨年まとめた環境白書は「人類の活動は地球の限界を突破した」と認識しています。国連のUNEPは「地球温暖化防止は既に手遅れ」との報告書をまとめました。その他にも多数の科学者が既に警告を発しています。地球環境問題は私達や未来世代の生命存続の問題です。過去の過ちを繰り返す訳にはいかないのです。未来世代が国を相手取り環境悪化の責任を追求する事すらできなくなる可能性があります(訴訟の相手は国ではなく、我々の世代か?)。

 では、我々はどうすればよいのか? 答えは笑顔で暮らす事です(笑)。なぜかというと・・・・。理由は次号以降、徐々に述べたいと思います。

ページの制約の為、今回はここまでとなりました。はたして続きを書く事ができるのか? 読者や編集者の反響次第。