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母が倒れて感じたこと

  • 2001年12月30日(日) 00時00分
  • 分類:日記
  • 投稿者:admin

 私の母が入院して1カ月以上が経過しましたが、本日現在、意識が戻っていません。命はとりとめそうですが、再発の危険・右半身不随・失語症は覚悟しなくてはならないようです。祖母も介護が必要なので、我が家に2人の要介護者が発生する事になります。「小林正観さん」というコンセプター曰く「この世に悲しい事・つらい事・悩み事という絶対的なものは存在しない。ただ、そう思う心があるだけ・・・」。その通りだと思います。私も今回の件を淡々と受け止めています。それは決して冷たい表現ではありません。母に面会すると涙が出ますし、回復のための呼びかけやマッサージなど、できる事はやっています。
さて、多くの人が経験するであろう身内の不幸(小林正観流に言えば不幸は存在しないので、世間一般に不幸と思われている現象としておきます)に遭遇して感じたことを述べてみたいと思います。

・母は現在59歳です。沢山の方々が「まだ若いのに・・・」とおっしゃいます。日本国内を基準にした場合はそうなんだと思います。しかし、最近のアフガニスタン国民の生活ぶりなどを目にしますと、決して裕福な家庭ではなかったけれど世界の1/4でしかない先進国で生活をし、決して素晴らしいとは言えないが真っ当な子供を無事に3人育てた母は、実は幸せと言えるのではないか?
 また、母が集中治療室に入って数日後、生後数ヶ月の赤ちゃんが隣のベッドに入ってきました。この部屋に入ってくるくらいですから、命の危険にさらされているのでしょう。私の母と同じように体から何本ものチューブがでています。肉親も沈痛な面持ちです。その光景を見た時、何とか救えないものかと思いましたし、この子やその家族と比べれば母や私はまだ幸せだと感じました。何日かして、その子がベッドから消えました。気になったので看護婦さんにどうなったのか聞いたところ「順調に回復したので集中治療室を出た」とのことでした。 ホッ。
・「自分の母には何とか良くなって欲しい」という願いは、もしかすると我がままなのではないだろうか?
 もちろん人情として、自分の母に対する想いはあってしかるべきでしょうし、私も母への想いは特別なものがあります。しかし客観的に見た場合、自分の母にはどうしても助かって欲しくて、AさんやBさんの母は仕方ないんじゃないかと感じることは(極端な言い方ですが)少しおかしいような気がしませんか?
・長寿は本当に幸せか?
 例えば私の母が無事に生還したとします。その後の余命の中で、もし子供が先に亡くなって親が自分の子を見送ることになったら、こんなに辛い事はないと思います。今回の件で、子である私が母を見送るかもしれないと感じた時でさえ、大変悲しくつらい時間でした。ほとんどの場合、子供より早く親が死にます。やっぱりそれが自然の摂理であって、それが今回のタイミングであるなら、それで良いのかもしれません。
・今回、自分自身の感情を見てみると「俺って冷たい人間かな」と思うほど落ち着いています。自分の母親や命に対して、あまりにも執着(とらわれ)を強く持ち過ぎていたならば、混乱したり落ち込んだりしていたのではないかと思います。混乱してしまうと適切な判断ができなくなり、結果的にうまくいきません。
 もし、人間に魂(霊魂)があるならば、母は自分が倒れた事によって息子が落ち込んでいる姿を喜んでいるとは思えません。逆に、自分(母)がいなくても一生懸命・精一杯生きている姿を見れば安心(喜び)してくれるのではないかと思います。