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民主主義≠多数決

「民主主義=多数決」と考えている人が多いのではないかと感じています。また、日本では、政治・行政・町内会などの公的色彩の強い分野においては、民主主義的手続きは確保されているようです。

私は、民主主義における多数決の本来の位置づけは緊急避難措置・非常手段と考えます。時間的制約などによって、どうしようもない時にのみ採用される意思決定方法のはずだと思うのです。

「民主主義は過程が重要」と言われます。様々な立場や価値観を持つ人が、様々な意見を述べる機会を確保することは当たり前で、この点については現在のところある程度実現していると思います。しかし、様々な意見(人)を「どのように引き出し」「どう向き合うのか」については多くの課題があると言わざるを得ません。(この点についての詳細は、ミーティングマネジメントやファシリテーターを検索して概要をご覧頂きたいと思います)

今回は「どう向き合うのか」について述べます。
民主主義においては「全員が納得した(できれば満足した)結論を出す」ことが理想であり、これを目指さなくてはなりません。最悪の場合でも、「これだけ誠意をもって話し合った結論だから仕方ない」という話し合い過程への満足が得られることが理想です。そのためには、心を開いて話を聴く(同意できなくても尊重はする)・感情的にならない・粘り強く対応する といったことが必要になります。これは、やってみると結構大変なことですが、私はこれが民主主義精神だと思っています。
例えば、「国会で50時間議論した」としても、自分の意見の優位性を訴えることや、相手を打ち負かすことを目的としていては不毛の議論になりがちです(そのようなことが必要な場合もありますが)。お互いが一方的に「話す」だけであって、「話し合い」にはなっていないように感じます。
極論ですが、もし「民主主義=多数決」ならば、国政では政権与党内で全て決めて、国会では議論しなくてよいはずですし、実質的にはそのような様相であると感じます。「民主主義精神」なき「民主主義的手続き」は、「結論ありきの議論」として多くの場面で目にしますが、関係者のモチベーション低下などの観点から、長期的には有効ではないと考えます。

さて、民主主義精神を獲得するには、個々人が「話を聴けない原因」「感情的になる原因」「粘り強く対応できない原因」を自らの中に発見し、修正する作業が必要になります。したがって、真の民主主義の実現には多大な個人の努力が不可欠であり、それをやり抜く決意も必要なのだと思います。