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心の仕分け

最近、事業仕分けに注目が集まっていますが、今日は「心の仕分け」について考えてみました。
私は自分自身と向き合う(自身を見つめる)ことが趣味でして、年々少しずつ深まってきている状況です(だからといって、誰かと比べて優れているということではなく、以前の自分より内面が充実してきているということです)。これまでの過程で、2度の大きな仕分けがあった(正確に言うと仕分けの重要性やポイントの発見です)ので、自分の体験を基にして述べてみます。
*以下の記述では、私の体験上、感情=怒り・焦り・不安・恐怖など(いわゆるマイナスの感情)となっています。

1度目は8年ほど前に気付いた「判断と感情」の仕分けで、日記欄「レジにて」(2002年)で簡単に述べています。
2度目は昨年に気付いた「感知と判断」の仕分けです。まだ十分に実践できていませんが、「判断と感情」の分離がある程度までできるようになった時、これ以上(完璧に)分離できないという壁にぶち当たりました。感情の度合いを低減させる(抑え込むのではありません)ことはできても、それ自体をなくすことができない為に、自分の目指す人格や人間性にこれ以上近づけないという状態になったのです。その時浮かんできた答えが「感知と判断」の分離で、自分の目や耳で捉えた物事を自分の価値観で判断するのではなく、ただ感知(認識)するというものです。例えば、夜に読書している時に外で誰かが騒いでいたとしましょう。心の中では、「騒がしいな」→「俺が本を読んでいるのに邪魔だし、非常識な騒ぎ方だ」→「(イライラして)何があって誰が騒いでいるんだ、怒鳴りつけてやろうか」となります。騒ぎがすぐに収まってくれればいいのですが、長引くと更に心が乱れていきます。これを、「騒がしいな」という認識で止め、その先に発展させない(多くの場合、発展させる必要もない)というものです。これは、今の自分にはとてつもなく大きな課題です。44年間、物事を感知した瞬間に自分の価値観(自分本位)で判断することを自動反応として続けてきましたので・・・・。しかし、「判断と感情」の仕分けに気付いたときも同じように大きな課題だと思っていましたが、数年かけて前進させることができたので、今回も気長に取り組んでみようと思います。

何となく悲愴感の漂う内容になってしまいました(笑)。
でも、こうやって自分を見つめることで新たな発見があり、精神的に少しづつ楽になっていくのでやめられないのです。21世紀は心の時代と言われていますが、心の仕分けにスポットが当る時がやってくると思っています。

また、少し違った側面になりますが、いわゆる「似て非なるもの」の仕分けも有益だと思います。例えば、感情的・情熱的、怒る・叱る、競争・競う、執着・愛着、非難・批判、頑張る・精一杯、正義感・正義、受け入れる・受け止める、言う通りにする・言うことを聞く等など。これらは、根底に愛があるかどうかが違いになっているものが多いと思いますが、自身の言動がどちらに軸足を置いているのか(混在している場合も多いので)を認識することはとても大切だと思います。

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