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100年に一度?

100年に一度?

持続不可能な社会の崩壊が進んでいます。
皆さん、どのような心境で日々暮しておられますか?
このような状況でも、焦らず・慌てず・不安にならず、腰を落着けて暮している方々もおられるようで、そういった方々がこれからの時代を切り開いていくのではないでしょうか。

各国の財政出動によって崩壊スピードは減速しているかもしれませんが、今度は国家破綻の危険へと追い込まれていくこととなるでしょうから、事態が若干先送りされただけで、より深刻で大規模なものへと移行していくかもしれません。
この状況は「百年に一度」と評されていますが、そんなものではないと感じます。「百年に一度」という言葉からは、1930年頃の世界恐慌を念頭におき、「これまでの基本路線は変わらないが、修正が必要で、修正した後はこれまで通りの路線を歩むことができる」という考えを感じ取ってしまいます。
しかし、今回の事態はそんなレベルではないと思います。分かりやすいイメージで言えば明治維新のようなものではないでしょうか。明治維新では、260年の幕藩体制が崩壊し、身分制度は士農工商から四民平等となり、廃藩置県によって県が出現し、幕府貨幣や藩札に替わり円が導入される等々、維新の前後では同じ日本とは思えない変化が生じたと思われます(だから維新なんですが)。
今回の事態を明治維新にあてはめてみると、経済危機は黒船来航ではないかと思います。黒船来航に対し、当時の幕府はどうすべきか分からず、故に腹も据えられず、国内は混乱し、維新へとつながっていく様子は、現在の政府と同じように見えます。そして、維新を成し遂げた勢力は中央政府内部(権力内部)ではなく薩長を中心とした地方、つまり権力から縁遠い勢力でした。更に、維新の英雄である西郷隆盛は世に出る前は島流しにされており、坂本龍馬は脱藩していますから、想像できなかった動きが既存権力の外から始まったということだと思います。そして、今回も同じような動きが始まるのではないかと思います。
また、黒船来航から明治維新までは15年程かかっていますし、維新後の混乱(内乱)が収まるまでに更に10年程かかっていますので、今回もある程度の時間を覚悟しなくてはならないと思います。

今回の維新を平成維新と言うのか、21世紀維新と言うのか分かりませんが、維新の後には安定した幸せな社会、持続可能な社会が到来すると思いますので、その新しい社会をしっかりと見つめて、これからの激動期を過ごしていきたいものです。

更に言うと・・・(ここまで書くと暴言シリーズにしたほうが良いかも(笑))
私は今回の事態を、「百年に一度」ではなく「千年に一度」以上のレベルであると考えています。
縄文時代は狩猟採取の生活で、貧富の差や階級の区別がなかったとされています。また、弥生時代は農耕による富の蓄積が始まり、貧富の差や階級の区別ができたとされています。
今回の維新では、弥生時代以降から続く「モノの豊かさの追求」(縄文時代も皆無ではなかったかもしれませんが)が転換されるのではないかと思っています。もちろん「モノの豊かさの追求」自体は悪いものではありませんが、それが最優先課題となっていることが問題だと考えます。
「モノの豊かさの追求」は相対的幸福感(人との比較・人からの評価)と深く関連し、極論すれば「心の豊かさ(安らぎ・落着き等々)」と相反するものだと思います(あくまで極論です)。
地球上には、縄文時代と同じような生活をしている先住民族と呼ばれる人たちがいますので、彼らの価値観で暮すことを不可能と言うことはできないはずです(*1)。私は、縄文人や先住民族と同じ狩猟採取の生活をすべきと言っているのではなく、同じ価値観を持って科学の発達した現代を生きていくべきと考えています。

*1
「バカの壁」著者の養老さんは、著書「いちばん大切なこと」(環境問題についての著作)のなかで、「環境問題解決の為にやらなければならないことを議論すると、『そんなの無理だ』とか『できるはずない』と断言する人がいるが、その理論は破綻している。『私には無理』とか『私にはできない』と言うべきであり、それなら納得する」とおっしゃっています。いい事おっしゃいますな~。

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