突然ですが、私、高橋尚子さんのファンでした(重~く受けとらないで下さいね(笑))。
出演するテレビやレースを全部チェックするというほどの熱烈なものではなかったけれど、人間性とか感性とか人生観に魅力を感じていて、素敵な人だなと思っていました。
私が観察しているところによると、彼女、シドニーオリンピックで金メダルとってから精神的な変化があったと感じています。今回のレース前に「「あきらめなければ、夢は必ずかなう」ということを皆さんに伝えたい」と言っていたことに表れていると思うのです。つまり、結果に執着するようになったのではないかと思うのです。もちろん、シドニーの前も後もレースで勝つことを目標にしていることに変わりはないのでしょうが、シドニーの前は一生懸命、精一杯やることを楽しんでいたように感じます。極端に言えば、一生懸命やることが第一目標で、勝つことが第二目標だったのが、第一と第二が入れ替わってしまったような気がするのです。結果を強く握り締め過ぎているような。だから最近は何か悲壮感が伝わってくるのです。体調がすぐれないとか、周囲の期待とか、思うようにならないとか、本人にしか感じられないこともあるのでしょうが・・・。
諦めなければ夢って必ずかなうものなんでしょうか?
もしそうなら高橋さんは強い気持ちが足りなかったということなんでしょうか?
例えば、高校野球甲子園大会で優勝する学校は1校ですが、それを目指している多くの学校の中で、その高校以外は諦めたのでしょうか?
「絶対死にたくない」と思っていれば永遠に生きられるのでしょうか?(これ、私の思春期の頃の夢です(笑))
諦めなければ、西から上ったお日様を東に沈められるでしょうか?(バカボンかっ(笑))
自分ではどうにもできないことがあるように思えます。
ヤンキースの松井秀喜選手がある時、大事な試合の数日前にインタビューを受けていました。
リポーター「今度の試合、ホームランを期待してます」
松井選手「自分は、自分がコントロールできることを一生懸命やるだけです」
自分のできることとは、体調管理や集中することや相手の研究や全力プレーなのだと思いますが、結果を求め過ぎていないコメントだったので、爽快感を覚えました。
私が中学生の時の校長先生が、当時の冬季オリンピックで男子スピードスケート全種目金メダルを獲得したエリク・ハイデン選手について何度か語っておられた話です。
「彼は全種目金メダルを取った後のインタビューに「私にとって金メダルはそれほど重要ではない、そこに至る過程が重要だったのだ」と応えています。過程が大事なんですよ」
当時受験生だった私は「一生懸命勉強すれば、受験に失敗してもいいって事にはならないよな~。合格することが一番大事だぜ」なんて友達と語り合っていたのを覚えています。
でも、嬉しいことに校長先生の真意を少しづつ理解できるようになってきました。なぜ嬉しいかって? 過程・プロセスを大事に生きていくほうが楽しいし楽なのです(精神的に楽って事ですが)。だから、物事が意外にうまくいったりしてしまいます。うまくいかなくても過程が大事なんですから、必要以上に落ち込む必要もなく、再チャレンジの為の良い学びに置き換えることができます(ノーテンキではなくて反省は必要だと思いますし、相手がある場合は責任を取らなくてはなりません)。
Qちゃんが変わったと感じたのは、私の感覚が変わったせいかもしれません。
こんな感覚で子育てもしているのですが、どうなることやら楽しみです。