前回の亀田一家に関する書き込みは、出張で家を出る間際に行ったもので、言葉足らずの面があったかもしれません。
本日、亀田家長男(興毅)が謝罪会見をして一区切りついたようなので、追加書き込みを行います。
前回言いたかったのは、心を見つめる事(自分の心も、他人の心も)の大切さです。心をどの切り口で見るかによって、単純にも複雑にも見えるものだと思いますが、心全体を常に捉えていたいものだと思います。
前回書き込みの日の夕方、亀田家の一回目の謝罪会見が開かれました。出張先で早めにホテルに入れたもので、夕方のニュースでじっくり見ることができました。
弟(大毅)さんの姿を見て、ホテル東横インの社長の会見(不正改造の謝罪)を思い起こしました。「利益追求のためだった。自分を上等な人間だと思っていたことが恥かしい。早く直したい」といった旨の言葉とともに、深くうなだれ涙する姿に、心から反省したんだなと感じました。最近は様々な謝罪会見が開かれますが、東横イン社長の姿は当事者が本当に反省したという印象を受けた数少ない会見であったと感じます(今、この社長がどうしているかは分かりません。一時反省しても元に戻ることもありますから)。
弟さんの場合も事の重大さを感じているという意味では同様に見えますが、反省したというよりショックを感じている状態のように見え、ここが東横インの場合とは決定的に違うと感じます。本当の深い反省をすると(前回も書きましたが、その為には相当な葛藤が必要な場合があります)、心が前向きになるものだと思います。
少々唐突ですが、私は自分自身も含め、多くの人が「責めのエネルギー」を持っていると思っています。この「責めのエネルギー」が外に向かうと他人を責める(発展すると傷害など)ことになり、内に向かうと自分を責める(発展すると自閉や自殺など)ことになります。亀田家は「責めのエネルギー」を外に向けてきたようなので、これが今回を機に内に向かないことを祈っています。「責めのエネルギーは」内に向いても、外に向いてもうまくありません。「責めのエネルギー」そのものが必要ないことに気付かなくてはならないと思います(気付くと、このエネルギーは減っていくようです)。
人はどんな些細な事からも心の学びを得ることはできると思っていますが、今回の亀田騒動も多くの人(当事者・マスコミ・評論家・国民(私も含む))が学ぶ機会にできるのではないかと思います。